キャベツと稲妻

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 ――わたしに恋人がいたのは六年前のこと。 そしてわたしは妊娠した。誰もが望まない妊娠だった。何故なら恋人には既に家庭があったから。きれいな奥さんと、可愛い娘さん。妊娠を知ると恋人はそれまでが嘘だったかのように態度を翻してあっさりとわたしを棄てた。  誰にも言えなかった。誰にも頼ることはできなかった。そしてわたしは誰にも知られることなく子どもを産んだのだ。  最初は復讐のつもりでいた。子どもを立派に育てて、恋人だった男に見せつけてやろう、と。だけど子どもをひとり育てるというのは想像していた以上に困難で過酷なことだった。過酷な作業だった。  忘れていた。子どもを産んだのは育てる為じゃない。恋人だった男に復讐をする為だ。だから育てる義務もなければ、必要性もない。わたしは何を間違っていたんだろう。気づいてからは、わたしが子どもに与えるのは、大量の水か週に二回のシュークリームだけだった。  子どもは部屋の片隅でシュークリームの中にたっぷりと詰め込まれたカスタードクリームを大切そうに舐める。その笑顔を一瞬でも愛らしく感じてしまったことが憎らしくて、わざと奪い取ったこともある。仕事で上手くいかないことがあれば子どもを叩いた。人間関係につまずいたら、子どもをぶった。理由もなくむしゃくしゃするときは子どもを蹴った。 「……お母さん、やめてください……」  そのかすかな声が聴こえなくなるまで、動かなくなるまで蹴った。お母さん? 誰のこと? わたしはあんたなんか知らない。子どもなんて産んだ覚えはない。子どもさえいなければ、わたしはもしかしたら男と今でも関係を持っていたかもしれないし、子どもに暴力を振るうこともなかったのだから。  そうだ、悪いのはわたしじゃない。悪いのは子どもなんだ。
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