来来来世に花開く

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「お前は来来来世に売れると思う」  この言葉を噛み締めながら俺は帰り道の川沿いを歩いていた。  彼は冗談のつもりなのかもしれないが、もう40歳をすぎた俺はどうにかして売れたいと思っていた。必死だった。だからひどく落ち込んでいた。そして泣いた。  春の夜風が俺の顔を優しく拭ってくれている。 「今俺動画配信やってるから出てくれない?下積み時代をともにした戦友として」 「でもお前の動画チャンネルって有名芸人ばかり出てるけど俺なんかでいいの?」 「観てくれてるのか?ありがとな。今いろんな芸人に出てもらってるんだよ」 「そうか。それなら是非」 「ありがとう。助かるよ。お前とは養成所で一番仲が良かったから、その時の思い出でも話せたら」 「わかった」 「じゃあよろしく」  俺は電話を切った。15年ぶりの彼からの電話だった。  同じお笑い養成所の同期としてスタートしたあのときからもう20年。  養成所の初日、ギラギラして尖ってて絶対売れてやるという覇気で満ち溢れていた稽古場で、彼だけは何故か穏やかで何の熱量も感じられなかった。  熱を内に秘めるタイプ。そこが俺と似ているなと思い、話しかけてみた。彼は気さくに返してくれた。  芸人としてのスタートは俺たちは同じだった。お客さんが20人ほどの若手ライブに出て結果が出たり出なかったり。ネタを作り、ライブでやってみる。お客さんの反応によってブラッシュアップしたり、新たにネタを作ったり。毎日それの繰り返しだった。  転機が訪れたのは4年目だった。  俺のコンビは相変わらず燻っていたが、彼のコンビはいろんなライブで爆笑をとり、芸人界隈では有名になっていた。そして5年目で迎えた漫才の大会で決勝に進出し、優勝は逃したもののその後バラエティ番組の出演が増えそこでブレークして、一躍有名芸人の仲間入りをした。  今ではテレビで見ない日はないというほど売れっ子芸人になった。  動画生配信は彼の家でやるということで教えてもらった住所に行くと、駅から徒歩5分ほどの高級マンションだった。マンション外のインターホンで部屋番号を押してインターホン越しに名前を告げるとドアが開き、エントランスを抜けて彼の自宅に着いた。彼は完全に売れていたのだ。  四畳半のボロアパートに住んでいる俺からすると夢のような住まいだった。彼はもう何年もこの夢のような生活を送っているのだろう。   「おう、めちゃめちゃ久しぶりだな。わざわざ来てくれてありがとう。本当に助かるよ」 「こちらこそありがとう。お前の動画チャンネルに出られるなんて」 「まあまあそんなお世辞はいいから」  15年ぶりに会った彼は相変わらず穏やかで熱も感じられなかった。 「じゃあ早速だけど養成所時代辺りの話とか、何でもいいから話そうか。オチとか気にしなくていいよ。こういうのって楽しそうにやるのがいいから」 「わかった」  そして動画生配信が始まった。俺は養成所時代初めて二人で飲みに行った話、自転車に乗って小旅行して養成所に遅刻した話、養成所を卒業した後将来を語った話など、覚えていることを面白おかしく、そして楽しげに話した。二人はゲラゲラ笑いながら思い出に耽っていた。 「あったな、そんなこと。でさ、お互いが相方の文句言い合って、だんだん腹立ってきて、俺らで一回漫才やってみようぜってなってライブ出たんだよな」 「そうそう。でめちゃめちゃスベったの。それから一時期二人での会話の中で漫才って言葉が一切出なくなったよな」 「あったあった。そうだった。あれ3年目?」 「そう3年目。お前らが漫才の大会で勝ち上がりはじめたときで、そんなおふざけやってる場合じゃ無いだろってコンビで喧嘩になったってお前言ってたよな」 「そう。おふざけって言われて俺カチンときて言い返したんだよ。お前は何も考えて無いからわからないと思うけど、こういうおふざけの中から新しいものが生まれるんだよって」 「それで俺たちの漫才で何か生まれた?」 「何も」 「おい。でもただただスベっただけだもんな」 「いい思い出だよ」 「あれからお前らは一気に売れたな。俺らなんてまだまだ足元にも及ばないよ」 「お前らだって売れるって」 「いつ?」 「んー、来来来世」 「今世中じゃないのかよ。何回生まれ変わらなきゃならないんだよ」  俺は声を振り絞って言ったが、声にならない声だったように覚えている。  それから俺の頭の中は真っ白になり、それ以降、何の会話をしたか全く覚えていない。でも終わった後「めちゃめちゃよかったよ」と言ってくれた彼の笑顔だけは記憶に残っている。  夜風はいつの間にか冷ややかに俺の顔を切り裂いていた。  来来来世に売れるかもしれない。つまり、あと3回生まれ変わったら芸人として売れるかもしれない。彼が本気でそんなこと言っているわけではない。例えのつもりであったり、それくらい売れることは難しく奇跡的だと言いたかったのだろう。  でもその言葉を俺はなぜか信じて見ようと思った。奇跡的な売れ方をした彼のことを信じて生きてみようと思った。  だからもっと必死に下積み時代を送ろう。60歳になっても70歳、80歳になってもずっと下積み生活だろうけど。それに、途中で相方は諦めるかもしれないけど。でも彼の言葉を信じて。  来来来世に花開くように。
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