ランチのあとには

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 彼女は呆気に取られてその豪邸を見上げた。正直、気後れがする。が、ここでやっていくしかないのだ。少なくとも3年間は。  まぁ、なんとかなるだろう。今までだってそこそこやってきたのだ。  こんなに立派な家は初めて見るが、不便なことはきっと減るし、寧ろラッキーだと考えを改めて、インターホンを押す。 「今日からお世話になる松馬星歌(まつばせいか)です!」 と、持ち前の明るさを最大限に活かして声を掛ける。 星歌は孤児だ。両親、親族、そんな人は1人も知らない。孤児院で育ったが、別段不便はなかった。小さい頃はとても静かな子だったと孤児院の院長はいうが、そんなことは覚えていない。物心ついた時には明るく元気に振る舞っていたし、友達も多く、明るい色が好きだった。  里親さんの話は何度も持ち上がりどの人もとても良く接してくれた。明るく元気な星歌は外国の人によく好まれたが、里親さんが母国に戻ると言う話になると何かと複雑なところがあり正式な手続きが済む前に孤児院に戻ると言うのがいつものパターンだった。  しかし、そのおかげで星歌の英語力、コミュ力はぐんぐん伸び、あろうことか、(読み書きには多少時間がかかるが)日常会話程度ならフランス語、ドイツ語、中国語までできるようになってしまった。星歌の明るさが教える側の気分を良くし、人並み以上に色々なことを教えてもらえたのがよかった。  そして、星歌には”叔父さん”の存在があった。といっても、血は繋がっていない。どうやら最初の里親候補の夫婦と繋がりがあるらしいが、それこそ物心ついた時にはすでに”叔父さん”と呼んでいたし、自分とどんな関係かは分からずとも、里親さんの話のいくつかは叔父さんが持ってきた話もあったり、そのたびに外国語を教えてくれたのは叔父さんだ。教えてくれたといっても、本を与えてもらったり、月に一度顔を出したり出さなかったり、星歌が中学に上がってからは叔父さん自身も海外に行っていて、さまざまな言語で書かれたエアメールが送られてくるくらいのものだったが。  中学を出たら働きながら定時制の高校に進み、支援金も要請できそうなので孤児院を出ることになりそうだと、中3の春に日本語で手紙を出すと、彼からも珍しく全て日本語で、お金のことや住居のことは心配しなくていいから星歌の好きなところに進め、とこれまた珍しく真面目な文章が届いたので、驚いた。さらに2日後には星歌の興味が湧くような首都圏の高校生のパンフレットやら何やらと「今からでも遅くはないでしょー?」といつものふざけたようなフランス語で書かれたメモが一枚ぺろりと入った封筒が届いたのだった。  そんなこんなで、星歌は叔父さんからの封筒に入っていた高校の一つを学校からの進路希望調査に書いて提出してみると、星歌のコミュ力をかっていた担任に、推薦枠で受験しないかと言われ、とんとん拍子に、話が進んでしまった。定時制しか眼中になかった星歌は知らなかったが、推薦入試で入学すると一般入試よりも早く合格内定が出て、授業料も免除、必要ならば支援金も出るらしい。  即刻星歌はその高校への入学を決め、叔父さんに改めて手紙を書いた。    それからと言うもの叔父さんからの連絡は冬になるまでなかった。そろそろお金のことも住居のことも心配なんだけどーなどと思っていたら12月25日の昼ごろに叔父さんから何やら箱が届いた。  サンタさん、クリスマスプレゼントのつもりなら若干遅刻してますよー、と一人ツッコミを入れつつ箱を開くと、最新のスマートフォンが一つ入っていて、そこには生活費ないし全ての費用は問題ないと言う旨と新しい住まいの住所が添付されたメッセージが既に届いていた。  ここでの生活もあと3ヶ月か、と柄にもなく感慨深い面持ちで狭い部屋を見渡し、布団の上にボフンと寝転がってゴロゴロしている間に段々と眠くなってきて星歌は不安と期待に思いを馳せながらむにゃむにゃと眠りについたのだった。
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