お帰りなさい。

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 「そりゃお前のお祖母さんの実家じゃないか?」  答えをくれたのは誠の父だった。麗と一緒に結婚の報告をして、大喜びの父が奮発したケータリングに舌鼓。麗に酌をされて上機嫌の父が、しかし夢の話を話題にした途端顔を顰めた。  「祖母ちゃん? 俺、祖母ちゃんの実家に行ったことなんてあった?」  誠の両親は、誠が幼い頃に離婚している。父が仕事に行っている間、誠の面倒を見てくれたのが父の母、誠の祖母である。  「そっちじゃなくて泉美…お前の母さんの方だ。母さんの母さん、お前から見て母方の祖母さんの実家は旧家ってやつらしくてな。松永家というんだが、田舎の山奥にどかんとでっかい屋敷が建っていたよ。盆には一族が集まらにゃならんってんで、毎年挨拶にも行った。  今時使用人なんてものを抱えているわ、爺様たちのご先祖自慢が長いわ、立派な刀剣が飾ってあるわ…時代劇みたいな家だったなぁ」  へえ。と感心してみせたのは麗だ。麗の家系は都会一筋だと聞いている。彼女には田舎の話が新鮮に感じるのだろう。  「犬と鶏はともかく、馬を飼っている家ってのは俺は他に知らん。なんでも引退した元競走馬を引き取ったとか…」  麗が猪口についだ酒を、ちびちびと父は舐めた。思えば父から母に関してまともに話が出たのはこれが初めてである。  「母さんってどんな人だった?」  「美人だったぞ、市松人形みたいな人だった。性格もなんというか…自らは控えめに奥ゆかしく、夫を常にたてて半歩後ろを歩く、そんな人だった」  麗が父に見えないように舌を出す。確かに今の女性像とそぐわないだろう。  「どうして別れたんだ?」  「そのお祖母さんの実家で、な。  母さんは元々本家――そう、本家と呼ばれていたんだが――のことを嫌っていた。あまり悪口を言う人じゃなかったんだが、こう、言葉に滲むものがあったんだ。  実際、お前の産まれる前に行ったときは、泊まる部屋、宴で座る場所や膳の中身、挨拶の順番まで全部家ごとに区別されていて。うちなんか分家の分家なもんで、向こうの態度もまた威圧的でなぁ。  だいたい盆に集まるんだから、目的は墓参りだろう? けれど俺は婿だってんで、参加は許されなかった。血が一滴も入ってないやつは駄目なんだと。  ああいう序列を重んじる家系の中で生きて来たんだから、母さんの心情もわかると同情したよ」  父は苦笑を浮かべた。今なら笑い話だが、当時は嫌な思いもしたのではなかろうか。  「だが、お前が生まれた途端母さんが変わった。  母さんは、それまで年一回だった本家への伺いを、お前をつれて何度も繰り返すようになった。父さんは仕事があるから毎回はついていけなかったが、それでも一緒に行くと驚いたな。  いきなり屋敷の一番奥まで案内されて、映画の華族かってくらい周りの連中が頭を下げるんだ。また母さんが…あの大人しかった母さんがまるで一族の主みたいな顔でな。  金切り声で周りに命令する、気に食わないことがあると手をあげる」  「……」  「『私は跡継ぎを生んだんだ』。それが母さんの言い分だ。  本家では、ご当主を除いてその血を引く男子が長く生まれていなかったらしい。男は皆俺も含めて婿ばかり。ご当主も高齢で、お前はあの一族にとっては待望の『男子』だったってわけだ」    誠と麗が顔を見合わせる。今時そんな話が現実にあるのか。  「父さんはだんだん怖くなった。母さんの変わりぶりもだが、このままだとお前の将来が、お前の望まぬまま決まってしまうと思った」  最初は、母に本家との縁を切ってくれと頼んだという。対して母は、それまで見たことがない顔で父を詰ったらしい。  本家を継ぐこと、子々孫々繋げること、これに勝る誉など存在しない。それを否定する父は愚鈍であると。また、周りの人間も一緒になって父を嗤う、罵る、…暴力にまで発展した時、父は母との離婚を決意した。    「お前の親権を取れたのは、向こうがどこまでも古い因習に拘っていたからだ。  幼子を強く育てるために滝に打たせる、畑に一晩置く…。畑に取り残されたお前を周りの目を盗んで連れ帰って裁判所に訴えたら、その所業が虐待だと認められた。  とはいえ何度か、お前を連れ去られそうにもなった。向こうに言わせりゃ、こっちが盗人なんだと」  誠は唾を飲み込んだ。もう覚えていないが、自分の幼い頃にそんなことがあったとは。父は猪口を卓に置くと、姿勢を正して麗に向き合った。  「麗さん、俺はあなたが都会の女性と聞いて安心しました。もちろん、田舎の女性がみんな泉美のようだとは思いません。  それでも、あなたのような現代的で自意識のしっかりした女性ならば、安心して誠を託せます」  どうか息子をよろしくお願いいたします、と父は頭を下げた。麗が慌てて下げ返す。  その様を眺めながら、ふと誠の脳裏に思い出されるものがあった。  ――お墓参りをしたら、必ず振り返るの。そうしたらご先祖様たちが家までついてきてくださるのよ。  涼やかな女性の声だ。誠の小さな手を握る、美しい女性の姿が朧な影を作る。  「なあ父さん、母さんは今どうしているんだ?」  頭をあげた父が誠を見て、そして痛みを抑えるような顔になった。  「昨年の盆に亡くなったそうだ。なんでも、本家で火事があったとか」  ふと、真っ黒に凝った家を思い出す。あれがあんなに黒かったのは、焼け焦げて、炭ばかりになっていたからではなかろうか。
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