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夜の闇。
山道にぽっかり開いた脇道は、土の上に石畳が乱杭歯のように突き出ていた。
夢の中の誠は逆らわずその道を進む。行きたくないと願い、しかし行かねばと思い、足は止まってくれない。脇道を進めば進むほど闇が深くなるように感じた。相変わらず頭上は梢で覆われていて、星も月も光を通さない。闇の中で、懐中電灯の灯りだけがぼうっと浮かび上がっている。まるで人魂のようだと、余計なことを考える。
辿り着いたのは乗用車二台ほどが入る広間だ。中にはずらりと並ぶ大小の石の塔。――墓場。
近代的な墓の造りから、大岩がそのまま地面に突き立っているものもある。脇の方には無数の小さな石ころが半ば土に埋もれていて、その前に線香を立てる筒があるから、あれも墓なのだろう。
父は、ここに来ることが許されなかったと言っていた。だが、血の繋がる者…誠ならば来たことがあるはずだ。
――お墓参りをしたら。
母の声が、頭の中で反響する。お墓参り…それがこの夢の正体なのだろうか。昨年の盆、本家で火事があった。盆は一族全員が揃う時だ。その時にもし一族の殆どが焼け死んでしまったのだとしたら、誠は墓参りを望まれているのだろうか。
――お墓参りをしたら、必ず振り返るの。
ぞぞぉっと、背中を何百匹もの蚯蚓がのたくったような、そんな怖気が走る。幼い頃、手を繋いで見上げた先にあった母の顔は、狂気だ。分家に生まれた母。その母は女であったから、結婚すればさらに分家へと格下げされる。より蔑まれる家格へと。
――そうしたらご先祖様たちが家までついてきてくださるのよ。
それも古い因習なのだろうか。
誠は跡継ぎだ。そんな息子に母がついて行かせたかったもの。
目覚めろ、と願った。だが目覚めは訪れない。
きっとここが夢の終着点だ。誠の体は踵を返すことも無く、この小さな広間に縫い取られている。
ならば覚悟を決めた。墓参りをしてやろう。
もしかしたら、この中に母の墓もあるかもしれない。母の鎮魂を祈り、安らかに眠ってもらえたらこの夢から解放されるかもしれない。
ただし墓参りを終えた墓を、決して振り返ってはならないと自分に言い聞かせる。
心が決まると、ようやく足も動き出した。
まずは近代的な造りの墓へ。松永家の文字が表面に彫られている。墓の横には収められた人の名があるのだろうが、それを見る勇気はなかった。もし母の名を見つけて、正気でいられる自信はない。母の旧姓も松永だという。これは祖母と結婚した祖父が、より家格の高い祖母の家名を重んじたからだと父から聞いた。
花も線香もないから、ただ腰を下ろして手を合わせる。順番に艶のある綺麗な墓から次第にごつごつとした岩肌の墓へ。次いで大岩が突き立てられただけの墓。
鎮魂を心から祈る。どうか安らかに眠ってくれ。そして、自分はもうここに戻ってくるつもりはない、都会で家庭を作るのだと報告する。
最後に名も刻まれていない、小さな石が無数に突き出た墓の前に来る。懐中電灯に照らされて、墓石一つ一つの向こうで無数の影が蠢いた。その不気味さから目を逸らし、手を合わせて祈る。
そうして立ち上がると、ようやく広場の出口へと体が向いた。安堵のため息が漏れる。あとはこのまま墓地を出てしまえばいい。
懐中電灯の灯りが、ぽっかり開いた出口を照らしている。まるで真っ黒な洞だ。だがこれまで見た中で一番輝かしい道に見えた。
一歩、踏み出す。
ころり。
ふと、背後でなにかが転がる音を聞いた。
ころり、ころ。
全身が、ぎくりと固まる。つい振り向きそうになって、なんとか留まった。振り返ってはいけない、決して。
ころころと、小さな音が一つ、二つ、次第に幾つも。脳裏によぎるのは先ほどの小さな石の墓だ。あれが地面から抜けて、誠の後を転がりながらついてくる。
懐中電灯を握る手が、ぬるりと湿った。心臓がばくばくと鳴っている。
――お墓参りをしたら、必ず振り返るの。
頭の中で母の声が反響する。その声が響けば響くほど、足が重くなる、息が苦しくなる。
――嫌だ。
焦る心が、足元をおろそかにさせた。突き出た木の根に蹴躓いて、体が前のめりに傾ぐ。無理に受け身を取ろうとして肘を地面に打ち付けた。その衝撃で懐中電灯が手から離れて飛んでいく。よりにもよって背後へ。
硬いものが跳ねる音が数回響いて、あとは無音。手元に光源となるものはなく、一気に闇の帳が落ちてきた。
黒、黒、真っ暗闇。手元すらおぼつかない。誠は呆然と動けなかった。だが、すぐにまた…ころ、とあの音が聞こえてきて、四つん這いに跳ね起きる。
いる。後ろ。すぐ後ろ。
ころ、ころ、ころ。いくつもいくつも、迫ってきている。
怖がっている場合ではない。誠は四つん這いのまま前に進む。下手に立ち上がって、また転んではかなわない。
先ほどまで見えていた出口はもう見えないが、大体の方向はわかる。それにこの音…ころころと石の転がる音が背後から聞こえてくるのなら、音と逆方向に進めばいい。そうすれば外に辿りつくはずだ。
誠は唇を噛みしめて、両手両足に力を込める。ここが踏ん張りどころだ。
誠が進むたび、じゃりじゃりと土を擦る音がする。そのたびに、背後からころ、ころ、と音が続く。
背後の音を注意深く聞きながら、考えるのは麗のことだ。夢から覚めたら、真っ先に麗の顔を見に行こう。そういえば、そろそろお腹の子の性別が解ると言っていた。
そうだ、これは所詮夢だ。夢なのだ。現実が、待っている。
じゃりじゃり、ころころ、じゃりじゃり、ころ。
背後の音が若干遠ざかった。助かった、と思った。思ったら、延ばした手が何かに触れた。滑らかで、冷たい。そういえば握りしめた母の手も、こんな感じだった。
触れた手がつるつると滑る。引き寄せられるように体を上げた。上げてしまった。
目の前に最初に手を合わせた真新しい墓石。その表面に掘られた墓の主の名。
『松永 泉美』
墓石が、誠を見下ろしていた。
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