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ロッカーで仕切られただけの旧校舎の部室群はどこも暗く、埃やペンキのにおいが漂っていた。天文部の部室は天窓のある本校舎の三階なので、その違いに眉を顰めつつ、恐る恐る灰色の迷路を進んでいく。
何度か行き止まりに遭遇しつつ、その内に、淡く光が溢れている空間を見つけた。
体を縮こませてその入り口に立つ。
頭上ギリギリには白っぽい暖簾が霞のようにかかっていて、脇のロッカーには縦書きの筆字で、「文芸部」と表札が一つ。
夕子は意を決して、そろそろと頁をめくるように暖簾を上げて入った。
六畳もない空間に小さなちゃぶ台が一つ、そこにこれまた小さな電燈を点して、セーラー服が一人背を向けて座っていた。
「こん……今晩は。」
セーラー服は一瞬びくりとしたが、ゆっくり振り返ると
「今晩は。」
と言った。色の白い、襟の淵から覗いた鎖骨の影も美しい少女だった。
「あ、あの私高三の奈良原っていうんだけど、その、屋上にいたら星が見えてそれが旧東校舎に続いていて、それで……」
夕子がなんと説明して良いのかしどろもどろしながら言葉を紡ぐ。すると、
「あ、噂のことですか?」
とても落ち着いた返答があった。夕子はただ頷く。
「……本当だったら、嬉しいですか?」
彼女が微笑んだ。
「私、星が好きでいくつか星にまつわる物語を書いてはいるんですけど……」
そう言って彼女は傍の段ボール箱から冊子を取り出して夕子に手渡した。
「どうなのですかね?」
彼女が背にしたちゃぶ台の上の電燈が瞬いた気がした。
冊子は、濃紺の表紙に星のイラストが散りばめられている。
左上には『星を綴る』とあった。
(……私が見ていた星って……?)
彼女の作品から、ペン先から星が生まれたわけはないだろう。あの星は偶然だ。まやかしかもしれない。でも或いはーー奇跡だったかもしれない。
「……私も星が好きなの。ありがとう。」
夕子は噂の真相について考えるのをやめた。やめたが、これで終わりなんかじゃないとも思った。
「ねぇ、私天文部なの。今度一緒に天体観測してみない?えっと……」
「薗景子です。高二Bです。」
景子がまた微笑んだ。
「宜しくお願いします。」
カーテンが風にふわりと遊んだ。
すっかり夜だろうが、きっと星空だろう。
「じゃあアドレス教えてくれる?私は……」
旧東校舎の隅の部室で、星は綴られ続ける。
はじまったばかりの物語が、ここにも。
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