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3 課せられた義務
「どうでした、サキュバス室」
昼休み、内縁の妻の桃香が興味津々なようすで話しかけてきた。食堂のテーブルに浅く腰かけ、ぐっと身を乗り出している。入社してきた当時のおどおどした初々しさはどこへやら、すっかりこの会社の長老格気取りである。
九分咲きの26歳、小顔に映えるショートカットがまぶしいわが伴侶。わたくしごとで恐縮だけれども、自慢のパートナーだ。
「あたし知ってますよ、生身の女の人がいっぱいいて、誰で出すか選びたい放題なんでしょ」
「お前さんのそういう下品なところが嫌いだね、ぼくは」
「あ、ひどい。あえて男性目線で話してるだけじゃない」
「あえて男性目線で話さなくてもよろしい」美味とは言いがたいA定食の残りをかっ込み、席を立った。「用事はそれだけかね。どうせ家に帰ればいやでも会うんだから、そのときたっぷり聞かせてやるよ」
「薫さん、こういうこまめなコミュニケーションがカップルの絆を深めるんですよ。家で会うからといって会社で会わなくてもいいことにはならない。そうでしょ?」
「おっしゃる通りでございますな」盆を持って返却口へ歩いていくのに合わせて、桃香も後ろからついてきた。「なんだよ?」
「てめえらなにいちゃついてんだ!」声のしたほうを振り返る間もなく、手加減なしのボディブローをもらった。城島先輩だ。「公私混同はやめてほしいね、公私混同は」
城島武志、38歳独身、身長1マイル体重1トンを誇る巨人族である。学生時代に修めたレスリングの癖がいまだに抜けず、折りに触れて人さまの足にタックルをかます陽気な快男児だ。
「注意するなら小西に言ってほしいですね。ぼくは被害者なんだから」
「なに言ってやがる、ほんとは嬉しいくせしやがって」思い切り肩を抱かれた。「桃ちゃん悪い、こいつちょっと借りるぞ」
パートナーは笑顔で手を振っている。「どうぞごゆっくり」
屋上へと連行された。先輩が二人だけの話をするときにいつも使う場所である。「お節介だとは思うが桐谷、義務は果たしたんだろうな」
「言われるまでもないですよ。先ごろ召集令状が届いたんで」
「悪いな、疑ってたわけじゃないんだが、忘れてる可能性もゼロじゃないだろ」
屋上は高層階だけあって春の微風が心地よい。わたしは目をつむって堪能した。「どうしてそう他人のプライベートに首を突っ込んでくるんです。この際言っときますけど、先輩をうざがってる若いやつらもいますよ」
「たとえばお前さんとかかね」
「そうじゃなくて――」
「なあ桐谷、俺はこの国が本当に好きだ。日本人も好きだし、日本の文化も世界に誇るべき水準に達してると思う」
「ぼくだってその意見に賛同するにやぶさかじゃないですけどね」
「だからそれを移民なんぞの薄汚い血で薄めちまうのは許されざる犯罪なんだよ。わかるな桐谷」
城島さんは肩を掴んで揺さぶってきた。レスリング仕込みの怪力である、たまったものじゃない。「痛いですって」
「そういう神聖な義務を忘れてるやつが多すぎる。日本が存続するかどうかは俺たちの双肩にかかってるんだ、いいか、文字通りそうなんだぞ!」
彼の目は血走り、息は短距離走のあとみたいに荒い。背筋に冷たいものが這い下りた。ごくりと息を呑む。「わ、わかってますって」
「ならいいんだ」ようやく解放された。先輩は満足げな笑みを浮かべて何度もうなずいている。「昼休みに悪かったな桐谷。今後とも義務を果たしてくれよ」
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