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エピローグ
くたくたになって命からがら会社から帰宅し、部屋着に着替えて漫然とテレビを眺めていると、ニュースは開花情報に切り替わった。
「今年もご覧の通り、各地で満開の情報が続々と届いております。日本国維持のため、ぜひともご協力ください」
画面には例の年齢差別丸出しの使用可能卵子一覧が映し出されている。あれからもう1年になるのだ。慌ててチャンネルを変えた。
携帯端末から音楽を鳴らしながら夕食を作っていると、新しいパートナーの萌奈が帰ってきた。「あーもう、疲れた!」
慌ただしく靴を脱ぎ散らかしながら居間に上がってくるなり、ソファに頭からダイヴ。そのまま動かなくなった。御年23歳、幼さの残る典型的な九分咲き女子である。
「ゆっくりしてなさい。いま夕飯作ってるから」
「ありがと。ごはんできたら呼んでね」
ちらりと横目で萌奈のほうを見ると、ヘッドフォンをかぶってなにやら自分の世界に没頭している。手伝うそぶりも見せない。
不満はなかった。パートナー契約を結ぶときに家事の負担割合を7:3で同意したのはほかでもない、わたしなのだから(当たり前だが若い女性は献卵で莫大な税控除を受けられるだけでなく、恋愛市場でもたいへんなアドバンテージを握っている。わたしのようなおじさんが気に入られるには不利な条件を飲むしかない)。
黙々と調理に従事すること30分、パスタのミートソース和え、冷凍食品のおかず、納豆ごはん、インスタントみそ汁の豪華なディナーが一丁上がった。完全によその世界へ飛んでいっていた伴侶を現世へ呼び戻し、ご相伴にあずかる。
話題は彼女の愚痴に終始した。いやな上司、いやな先輩、いやな同僚。わたしは慈愛に満ちたまなざしでうなずきながら、適当なタイミングで相づちを振り下ろし続ける。
正直に白状すれば、萌奈の内面はそれほど魅力的とは言いがたい。桃香嬢とは比べるべくもない。浮ついていてむら気が強く、貞操観念は――そんなものがまだあるとしての話だが――皆無に近い。
契約に入っていないからという理由でもう二度も、公然と浮気をされていた。彼女はぺろりと舌を出してウインクしたものだ。「ごめんね、前の彼氏と久しぶりに会ったら話が弾んじゃって」
これが最近の若者というやつらしい。
契約に入っているはずの皿洗いもしないまま、萌奈は酔いつぶれて寝てしまう。いまや家事の負担割合は9:1に近づいている。おそらくこの関係は長くは続くまい。
ベランダへ出て洗濯物を取り込んでいると、ふと桃香と暮らした日々が脳裏に浮かんだ。彼女とも家事の負担割合は7:3で合意していたのだが、いつもいやな顔ひとつせず手伝ってくれた。いまみたいに洗濯物と格闘していると、するりと白い腕が伸びてきて、こう言ったものだ。「薫さん、手伝いますよ」
一億総DINKs社会となったいま、1年前の彼女の提案はとうてい受け入れがたいものだった。
それでもわたしは想像せずにはいられない。開花情報に合わせて倦まずたゆまず精子をふるさと納税し、誰とも結婚せず、未来を担う子どもたちはどこか自分の与り知らぬ施設で生産されるに任せておく。内縁の妻に飽きるか飽きられるかすれば即解消、次の相手をマッチングサービスで物色する。それが一生涯続く。
べつに不満があるわけではない。これが標準的な現代の生活環なのだから。それでもやはり、桃香は特別な女性だった。わたしたちは利害や打算だけではなく、本当に愛し合っていた。末永く続けられる関係だったはずだ。
洗濯物を部屋に放り込み、そっと窓を閉める。
意味不明の寝言をつぶやく萌奈を尻目に、黙々と服を畳む。
いつの間にかテレビがまたぞろ開花情報を流していた。今年も満開、来年も満開。n年後もずっと満開。
合計特殊出生率2.07、ばんざい。
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