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「出てってくれ。女が出来た」
薫にそう言い放った。
忍は厳かな顔をして、鬼のような形相をしていた。その時薫は、三十代半ばにして、捨てられたと確信した。
彼女はカフェで一連の出来事について、憔悴していた。
何もかもやってられない、忍を心の底から愛していたというのに。
五月の中旬、薫は仕事に精を出した。専業主婦から、仕事をするはめになるとは思ってもいなかった。
休日、町を歩いていると、忍の姿があった。
彼は車いすに乗り、彼の母親に車いすを押されていた。
「そうかあ……。忍、不治の病にでもかかったのかな」
そう思い薫は彼のもとへ駆け出して、
「愛してる!」
と言った。
「は?」
彼の返答に胸がどきっとした。
「だから言ったろ、女が出来たって。俺の母ちゃん。俺マザコンなんだ。言えないことだってする仲だよ。これただの骨折だから。ばーか、話しかけんな」
そう言って、忍は鬼の表情を見せた。
薫はただただ呆然として、忍の顔にびんたした。
病室にて、七月の下旬。
忍は母親にとつとつと物語を語るように、薫との思い出を話した。
母親はただただ涙に暮れ、彼の言葉を抱きしめていた。
「愛するってさ、時に嘘をつくのも必要なのかなあ……」
忍はただただそう口にした。
「いいの? あなたの最愛は薫さんでしょ? 最期を看取ってもらったらいいじゃない」
「いいんだ。俺は病気に殺され、そして病気を殺し、薫への愛情を殺した。そうでもしないと、薫に深い傷を与える。憎まれて死んだほうがましだ」
「あら、不治の病は、忍のあまりにも純粋な心にあるのね」
彼は数日後、息を引きとった。
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