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掴みどころのない人だ、というのが、昔から概ねの人々の私に対する人物評価だ。
掴みどころのない…という表現が、そもそも私には理解しかねているところだが、おそらくは、自分たちの理解に余る少し厄介な人物、というニュアンスを含んでいたのだろう。高校でも同じ意味で「少し不思議な人」と呼ばれているのを聞いたことがある。
人が集まる場所は確かに避けていた自覚はある。代わる代わる投じられる話題についていくのが私には難しかったのもあるが、単純に人混みが苦手だったのもある。
毎朝の通勤電車を避けるため一貫して自転車通勤をしていたら、同僚に「ツール・ド・フランスにでも出るのか」と揶揄われた。返事をしかねた私に、同僚は所在なさそうに笑っていた。
そんなだから、私自身が友人だと呼べる間柄は片手で事足りてしまうほどで多いとは言い難く、劇的な出来事があって知り合ったというわけでもない。なんとなく会話をし始めて居心地が好いなと思ったら一緒にいる時間が多くなっていた。都合の良い相手といえばそれまでだが、気落ちしたときに傍に寄り添ってくれたのは何よりありがたかった。
件の友人ともそんなような付き合い方だったと思う。他の友人がそうであるように、その友人がそうであるように、私にとっては指折りで数えられてしまう友人たちはそれぞれに大切な人であった。
顔も知らぬ誰かが綴るほど私のことを話した友人はどうだったろう。何を想って私を語ったのだろう。
友人は、それでも自分で命を断ってしまったのだ。
いつも時期を外れて夏季休暇を取得することになる私が、突然季節通りに休暇を申請したのを予定表から気づいたのだろう。
「どこかへ行くのか」と同僚は尋ねた。
別に隠すことでもない、その行き先を告げると、ふんふんと頷いた後、少しの間を置いて怪訝な顔をされた。
「肝試しか?」
そう思われるのも自然なところだ。
その海は、いわゆる自殺の名所だった。
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