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自分が見ているものも感じているものも、自分が見ているだけで感じているだけで、なんだか現実感が無い。
本当にそこにあるかどうか、もはや自分だけでは確かめられないのだ。自分ではない何かが同じ反応を返して、やっとその存在を認められる。
友人の思い出話が過去のおとぎ話だったのに、いつの間にか、今、私が立っているこの場所も足元が曖昧になってしまっているようだった。
夏のアイスを堪能し、のんびりとやって来た列車に再び乗車した。
走る車窓の景色が開けると、傍らに海が見えた。夏の光を受けて波間がちらちらと輝いている。線路は海岸沿いを走っているようで、この海はもう隠れようがないらしい。
水平線の上の空は熱に少し澱んでいて、雲行きが徐々に怪しくなってきているようだった。
目的地の駅へ降りると、僅かに冷気を含んだ潮風が目の前の海原から薫る。
あめがくる。
子どもの頃に感じていた予感が、胸の奥で揺らいだ。少しの不安と、しかし圧倒的な懐古感。見覚えのない景色に故郷を感じてしまうのは、自分の中にも海があるからだと誰かに聞いた覚えがある。
夏の圧力に私の身体の奥に凝固されていた子どもの感覚が、溶けて押し出されているようにも思えた。
傘を持ち歩かない私は、念のためと駅前にぽつんと置かれたコンビニで傘を購入した。
はたして、それは正解だった。
海の向こうからあっという間に黒い雲が流れてきて、それは雷を内包し、強い雨を開いた傘へ叩きつけていく。破けてしまうのではないかと思うほどだ。
歩き出すのもままならず、私はしばらく道の端で耐えるしかなかった。普段ならどんな豪雨も雷雨も分厚い壁に遮断され、その音さえも聞こえないのに。
私と空を遮るものは、いま、この一枚のビニールしかない。鼓膜を叩く雨音と唸る雷鳴が、容赦なく脆弱な私を指し示している。
そう思ったとき、ふと友人の顔が浮かんだのだ。
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