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お疲れ様の合図
芽衣は目を覚ました。「寒い…。」そう呟くと、肩に優しく布団をかけられた。
「おはよう。昨日はごめんね。理性が抑えきれなくなってしまって…。」
隣には一夜を共にした毅が、スーツ姿でベッドに腰かけていた。
「毅さん、これから仕事ですか?」
「うん、そろそろ行かないと。あの…」
「そうですよね、お仕事頑張ってきてください!私はひとりで帰れますから、心配しないで。」芽衣は毅が続けて何か言おうとしたのを遮るように話した。自分を構っていたがために会社に遅刻したら大変だと思ったのと同時に、例え遊ばれたのだとしても、「よき思い出」で終わらせたかった。また抱かれてしまったら、本気で毅にのめり込んでしまう気がした。
「いやだめです。芽衣さんを置いて行くことはできません。昨晩からずっと伝えたかったことがありまして…よかったら博多に残りませんか?僕と結婚前提でお付き合いしてください。」
突然の告白だった。芽衣は信じられない気持ちで一杯になったが、急いで頭の中で現状を整理しようとしたが、処理が追い付かない。
「とても嬉しいんですが…このまま東京に戻らず残れと言われましても、仕事もありますし…。」
「芽衣さん、召し使いやられてるって言ってましたね。僕は昨晩の屋台で、本当は別の女性を待っていたんです。東京の菓子メーカーの社長さんに、紹介された娘さんをね。私は乗り気じゃなかったので、あえて嫌われてやろうと思い、ラーメン屋台で会いたいと伝えました。」
「それって…真子様では?」
「そうです。真子さんっていう女性です。やっぱり来なかったですね。そして、代わりにあなたが現れた。」
「私、真子様から代わりに行ってくるように命じられたんです。隆志社長から渡された行くとこリストに『中洲のラーメン屋台』と書かれていたので不思議に思いましたが、そのような経緯だったんですね。」
「社長令嬢ともなると、その時点で『この人ないわ』って思われますからね。でも私の前に現れたのはあなただった。あなたはラーメン屋台で本当に美味しそうにラーメンを食べ、ビールをがぶ飲みしていた。その姿を見て、思わず惚れてしまいました。しかも話してみると、召し使いとして働いているためか会話の隅々に気遣いがあり、芯がしっかりとしていらっしゃる。よかったらうちで働いてくださいませんか?専務としてお迎えさせていただきます。」
「せ、専務?!どういうことですか?」
「実は私、博多醸造という清酒メーカーの次期社長でして、結婚したら後を継ぐように、父から言われております。芽衣さんはお酒が好きなようですし、昨晩出会った瞬間から芽衣さんに惚れてしまいました。こんな偶然な出会いではありますが、よかったら私と一緒に働きながら、幸せな家庭を築いていただきたい。」
「は、はい…。」
芽衣は嬉しさのあまり言葉がでなかった。芽衣は幼少期に両親が離婚し、育児放棄されたため、高校卒業まで児童養護施設で育てられた。お金が無かったため早く自立する道を選んだ芽衣は、高校卒業と同時に召し使いとして、菓子製造会社を経営する隆志に雇われ、働き始めた。働き始めてからも、何度も理不尽な境遇に合ってきたが、幼い頃からの経験で乗り越えられた。そして今、その生活に終止符が打たれた。
"お疲れ様、自分"
小さくそう呟くと、芽衣の瞳からは、止めどない涙がこぼれ落ちた。
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