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 風が気持ちいい――――  飛行船の甲板から望む景色は絶景だ。突風が、なびく朱赤の髪から髪飾りを飛ばした。 「お嬢様、フランデルお嬢様、こんな所にいたら危のうございますよ」  奥のドアからメイドのルプリがどすどすと、足をならして出てきた。 「ああ、ルプリか? 気持ちいいぞここは」 「そんな、もし落下すればどうするのですか! 嫁入り前のお体なのですよ」  ルプリの体格は三角形のように下半身になるにつれて大きくなっていて、歩く度に巨大な尻を揺らしている。なのに腕は細く華奢なところもある。腕立て伏せは絶対に出来そうにないその右腕が私の左腕を引っ張る、 「嫁入り? はっ、絶対的存在である魔王の娘を嫁にする魔族がどこにいると思う? ハハハ」  呆れたように笑う。世話焼きのルプリと何度このやり取りをしたことか、私は嫁になどいかなくても何一つ不自由無い、お父様やルプリと暮らせればそれでいい。 「それに落下だと? そんなもの、回りを飛ぶガーゴイルどもに助けさせればいいじゃない」 「そっ、そういう問題ではありません! お嬢様に怪我の一つもあれば私の責任になるのです、さ、早く中に」 「中には入らん」  ルプリの手を振りほどくと、手すりに寄りかかって顎をあげ、風を感じる。 「お嬢様、危険な際は、ワシらにお任せを」 「おう!」  回りを並走するガーゴイルの顔は鷲のようだ、二足歩行で腕が鳥の羽になっている飛行型のモンスターだ。一体のガーゴイルが私に近づき言った。大きく片手をあげ、返事をする。ルプリはその後ろで苦虫を噛んだような顔で足を震わせていた。 「お、ルプリ、あなたもしや高所恐怖症?」 「いっ? そ、そうでございますよ」 「ではルプリだけ中に入っておけばいい」 「だ、ダメでございます、魔王様のご命令ですから」 「お、お父様の!?」  大きく目を見開く、お父様のご命令は絶対だからだ。なにせこの魔族を納める王、誰も逆らえず、誰も敵わない。誰しもがお父様には一目置いている。 「は、早くそれを言いなさい!!」  ふわりと風を含んだロングスカートが舞い上がるのを抑えながらピンヒールが甲板を蹴った。 『到着しました、これより着陸に入ります、大きな揺れにご注意下さい』  椅子に座ると同時にアナウンスが流れた、肘をつき窓を眺めると、緑豊かな山々と大地が近づいてくる、遠くに小さく城も見えた。  ルプリは慌ててシートベルトを締めている。 「お嬢様、シートベルトをお締め下さいよ!」 「大丈夫よ、ルプリは心配性ね」 「そんなことありません、お嬢様に――――」 「あーもう、分かった分かった」  ルプリの言葉を遮るように、渋々とベルトを締めると、ゆっくり降下し、やがて着陸する。エンジン音が次第に止み、『到着』と、アナウンスが流れた。 「ところでルプリ、ここはどこなの? 早く外に出てあの水辺に行きたいわ」 「はい、ガデムブルグ大地、人属軍国王(ひとぞくぐんこくおう)の住む領地でございます」 「ひ、人属軍国王って、いくら停戦中とはいえ敵の中心じゃない!」  立ち上がり思わず声を荒げる、背中にジワリと汗を感じた。 「大丈夫だ……フランデル」  腹を抉るような低い声が背中に当たった、目の前のメイド魔族、執事魔族は一瞬で姿勢を正し硬直する。振り返るとそこにはお父様、魔王イドルが船内を優雅に漆黒の鎧に纏われた筋肉質な巨体を揺らしながら歩いてきた。 「お父様」 「この大地は人属領だが、既に我が軍を送っておる」 「そ、そうだったのですか?」 「ああ、だが、人属領の力により魔力が押さえ込まれる為、弱いモンスターになってしまうがな」  弱くとも見方が外に入るのといないのでは気持ちの持ちようが違う。 「ワシはこれより人属国王と話をして来る」 「ではお父様、私、近くの水辺に行ってもよろしいでしょうか」 「停戦中とはいえ、ここは敵地、ワシとて魔力は押さえ込まれておる、十分に気を付けるのだぞ」 「はい、お父様」 「ルプリ、フランデルのこと、しっかり頼むぞ」 「かしこまりましてございます」  そう言うとお父様は四天王と言われる護衛四体を引き連れて、飛行船を降りた。 「さーてルプリ、早く行くわよ!」  お父様が見えなくなるのを確認すると、一気に緊張の糸が解れ、声も弾む。それはこの飛行船に乗り合わせる魔族も同じように見えた。 「お、お嬢様っ」  私はドアを開け、甲板から地面まで全力疾走だった。まるで無邪気に遊ぶ子供のように心が弾む。足が軽い、空気が澄んでいて、いくらでも深呼吸してしまう。  両手を広げくるくると回転しながら声を出して笑った。 「やっぱり魔界とは全っ全違うわねー」 「お、お嬢様っお待ちを……ア、ハハッ、ハハハッ」  大きな体を揺すりながら走るルプリも、この大地の景色と空気に心踊ったのだろう、焦りの中にも笑顔が滲み出ていた。  無理もない、魔界の景色は殆どが白黒で、色があるとすれば真っ赤なマグマくらいだ。空気もここよりもくすんでいるように思えた。だって、深呼吸なんてしようと思わないのだから。 「ルプリ、早く早く!」  水辺に着いた私は振り返り汗だくのルプリを手招く。 「はぁ、はぁ……お、お待ち下さい、お、お嬢様」  澄んだ水を覗きこむと小さな魚がわっと逃げた。波紋が広がっていく、見上げると一面緑の木々が生い茂り、間からは晴天の空に白い雲がゆっくり流れていた。  もはや領土の奪い合いなどどうでもよくなる。  「はぁ」と、息を吐き出し再度深呼吸をしようと大きく息を吸い込み吐き出すと、新緑の芝生に腰を下ろす。ぶよんとお尻に抵抗を感じた。柔らかいクッションのような感触だ。 「ぐえ」 「きゃっ?」  反射的に立ち上がると、そこには水色の物体が私の下敷きになっていた。 「えっ、何これ」  ぶよぶよとしたその物体は上下左右に若干伸び縮みを繰り返している。 「あーっ、お姫様だ!」 「ひっ、しゃ、しゃべった」  私は思わず後退りし、その物体から距離を取った。水色の物体は反転したかと思うと一つの大きな目を見開き、ゆっくりと広角を上げ赤い口を広げて笑った。 「お嬢様、これはスライムでございますよ」  やっと追い付いたルプリが私の隣で膝に手を当て、息を切らしながら言った。 「こ、これが……あの最弱モンスターのスライム?」  話には聞いた事があったが、自分の目で見たのは初めてだった。 「最弱だとぉ?」  目の前のスライムではない、どこからともなく声が聞こえる。同時に近くの茂みから大量のスライムが現れる。十、二十は超えているだろう大群だ。 「あー、お姫様だお姫様!」  幼い子供のような声と口調で二十匹以上のスライムが私に向かって飛び付いてきた。 「うわっ、ちょっ何何何?」
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