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「おねえちゃん、みて。かわいいでしょ?」
母の白いフレアスカート。それをふわりと翻して見せびらかす五歳は確かにかわいかった。
八歳の私は魅力的な被写体に抗えず、父のカメラを棚から持ち出してレンズを向ける。レースの下に覗く白い素肌、布地をつまむ赤い指先、目尻を垂らして口端を持ち上げた無邪気な笑顔。
五歳がフレームに入るだけでパッと画面が花やぐ。
青空の下をスカートで駆け回った花と、夢中で花を撮影していた私は仕事帰りの両親に叱られた。
ふたりの大切なものを無断で使ったのだから当然、勝手に使うのはやめようね、これからはちゃんと許可を取ろうね、と慰め合ったのはもう十年前。
私と父はカメラを通して仲の良い親子になれた。
父が見ている場所では彼のコレクションを触らせてもらえたし、写真の上手な撮り方も教えてくれた。アルバイトで貯めたお金で自分のカメラを買う時にアドバイスを求めれば、お店まで着いてきて店員さんとの交渉まで始めた。
けれどスカートは、そうも行かなかった。
「姉ちゃん、見て。どう?」
かわいいでしょ、と小首を傾げた花のような五歳はもういない。目の前にいるのは自分の性別と社会に苦しめられて悩む十五歳だ。
「かわいいね、どこで買ったの?」
「駅前。店員さんに聞かれて『姉へのプレゼントです』って言っちゃった。嘘に巻き込んでごめん」
「いいよ、私で良ければ存分に役立てて」
それしか役に立てない自分が不甲斐なくて仕方ない。この十五歳にできることを探しているが、十八歳の私にできることは少なすぎる。
「ありがと」
頬を染めてはにかむ子どもを母が言葉で否定はすることはなかった。けれど、スカートを与えることもなかった。
せめて母が、私が着なくなったスカートを譲るのを許してくれていたら。この世界はもう少し息のしやすいものだと信じられただろうに。
気がついた時には、私のカメラが青空とスカートを一緒に収めることはなくなってしまっていた。
私の部屋でラベンダー色のスカートを風に遊ばせる笑顔に昔のような無邪気さはない。
親に連れられて出かけた子ども服売場。ネクタイとズボン、リボンとスカートに分けられた制服。男か女か選ばなければならない性別記入欄。大人から、常識から、世間から、自分を否定する価値観と解釈をそうと察する間もなく与えられる。自分を肯定する言葉は探しに行かなければ見つからない。
そんな環境で、必死に自己を形成している。大人びているんじゃない。子どもでいたくてもいられなかっただけだ。
好きな服を着て外を歩く。ただそれだけのために、まだ十五歳の子どもが傷つきながら悩みながら生きなければならない。こんな世界は間違っている。絶対、間違っているのに。
大学に合格した記念にと購入したカメラを棚から取り出して、制服のない高校への進学を決めた十五歳へレンズを向ける。
「撮ってもいい?」
「うん、姉ちゃんが撮りたいなら」
窓からの風に靡くラベンダーと仄かに目尻の垂れた笑みをフレームに収めた。青空の下で再び花ひらく日を、願って。
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