冬の嵐を殺したい

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冬の嵐を殺したい

 身の凍えるような寒さの日だった。外はしんしんと雪が降り、窓には若干の、本当に若干だけの結露ができていて、外の世界には白が多いなと、僕はそう思った。  日没が早くなったおかげで楽器の奏でる音たちは既に帰宅を始めていて、この妙に静かな部室で聞こえるのは先輩の奏でるキーボード音と、そして電気ケトルが体内にかき鳴らす水の沸騰する音だけだった。  しかしそのうち前者は、ぱたりと先輩がパソコンを閉じた音によって幕を下ろしてしまった。 「書けなくなった」  先輩はそれだけ言って立ち上がると、同じく閉幕した水の沸騰する音があった場所へ歩いていった。僕は読んでいた小説へ視線を戻す。先輩の歩幅で言えば一〇歩も掛らなかったはずだが、ぱこり、ぱこりというかかとの踏みつぶされた上履きは、明らかに過剰な回数地面を打った。 「どうしたんですか」  先輩はどうやらケトルを通り過ぎ、この部屋唯一の窓の元へたどり着いたらしい。  嫌に静かなこの静寂は、耳鳴りのような甲高い音で僕の鼓膜を震わせている気がする。静寂の音が聞こえる。  寒いなら暖房を付ければいいのにと、電気の点いていない部室で僕はそう思った。ふと、僕の視線が先輩の視線を拾う。  僕は彼女と合ってしまった目を逸らしたあと、その視線のやり場がわからず、静かに外の街灯を帯びる一〇〇円のコーラから、電池が切れたまま放置されたアナログ時計を経由し、そして再び先輩の余裕そうな表情を捉えた。 「ねえ」  先輩は立て付けの悪そうな窓を勢いよく開放すると、埃と砂に汚された窓枠にその軽そうな身体を座らせた。 「ここ、四階なんで。落ちたら死にますよ」  「吹雪」と言うには風が弱く、「しんしんと降っている」と表現するには風が強い。そんな中途半端な天気の前に、完璧な笑顔を浮かべる先輩の姿がある。 「私はバッドエンドの小説が書けなくなった。だから殺してよ」  この教室のものではない空気の擦れる音が、静かなこの空間に侵入してくる。それと同時に救急車のサイレンや電車の走る音、生活道路に溢れているであろう人々の喧騒、車のクラクション、風がわさわさわと街路樹を揺らす音、様々な音がこの部室に反響する。  僕は椅子から立ち上がり、先輩の元へ足を進めると、ゆっくりとその窓を閉じた。それに伴い、窓枠に座っていた先輩も押し出されるようにして地面に足を着く。  この部室から僕が追い出した世界の嫌なものたちが、その窓を通して何度目かもわからない侵入を画策しているような気がする。僕はその窓に鍵を掛けたあと、何も言わずに先輩の頭を撫でてみた。  艶のある黒い髪に、天使の輪みたいな光沢が載せられている。さらさらと、まるで小川が流れるように先輩の髪が流動する。  数秒の沈黙のあと、先輩は僕の手を振り払い、いつもの余裕を込めた表情で笑った。 「うそつき」  汗をかいたコーラとか、壊れてたまにしか付かないエアコンとか、先輩の前でしか使えない「俺」という一人称とか、そういうどうでもいいものが僕の青春を形成している。そしてそれを作るどうでもいいものの中には、猫のように笑う先輩と、そしてその人の書くハッピーエンドのない小説だって含まれている。  僕がもう一度頭に手を置くと、先輩は震えた声で、「私も小説家を殺したい」と言った。
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