プロローグ

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 - 1578年、戦国時代 因幡国  -  織田信長侵攻の知らせが高那道兼の元に届いたのは、旧盆が明けてまだ間もない昼下がりの事である。  先日、主家の平田氏が治める佐平田(さひらた)城にて行われた軍事評定では、敵国の侵攻は少なくとも年明けだろうと予見されていた。  ところが織田軍は破竹の勢いでとなりの播磨を穿ち、その先兵はもう目の前まで迫ってきている。  徹底抗戦派と即時降伏派の間で右往左往していた平田陣営にとって、まさに晴天の霹靂だったのである。  最前線になるのは道兼が治める高那村である。村の北面を海、東面南面を尾根に守られてはいたが、郷士同士の小競り合いならともかく、大軍を相手に持ちこたえられる土地ではなかった。  当然領内では不安の声がそこかしこで囁かれている。  領主の道兼は報告を受けた後で一旦居館に戻り、しばし庭に遊ぶ雀の(つがい)を眺めていた。落ち着かぬのか右手の人差し指を膝の上でパチパチと迷わせていた。深く思案しているときに出る道兼の悪い癖で、焦っているように取られるので辺りの者を不安にさせた。  しかしこれは、【架空の碁盤上で見えない相手と碁の予想戦を繰り返しているのだ】と、側近の老爺は近仕の者たちに言い聞かせる。  実際、道兼は迷っている。羽柴秀吉と聞けば、信長の太鼓持ちで【猿面冠者】などと笑う者がこの因幡国には多い。しかしその戦上手・外交上手は尋常ではない。どの国の武将よりもずば抜けており、特に城攻めや局地戦に置いての巧みな鬼謀術数は稀代の軍略家と比べても引けを取らないものがあった。  事実、ただの草鞋取りの身から織田一頭の軍団長までのし上がってきたのだ。並みの軍略で対峙できる相手ではない。  その羽柴秀吉が主君・織田信長の直命を受け、この高那に向かってくるのだ。道兼でなくとも気丈ではいられない。  羽柴の軍勢は2万余、対する平田勢は主家分家・外様を合わせても二千五百に足らなかった。さらに道兼の手勢に到ってははわずか百八十騎を数えるだけである。算段など無駄、降伏の一点しかない ―。  道兼もそこは見誤らなかったが、ここで頭を下げ命を永らえたところで、そこは非情で名を馳せる織田信長のことである。  後は西方に構える古知の者たちとの、無慈悲な殺し合いをやらされるに違いないと踏んでいた。 (織田信長、修羅道に生きる鬼畜の魔王よ ―。)    早々に取り入った播磨の小寺家のような、気概に欠けた割り切り方はできない。  道兼は四半時の思案の末、ようやく固く閉じていた瞼を見開いた。 「我もやはり一門の武士(もののふ)である! この上は是非もなし!」  辺り一遍に放たれた覇気で、庭の雀たちが一斉に秋口の日本海に向け飛び立った。  ようやく腹を決めた道兼は強い面持ちで近仕の者たちを呼んだ。そして急ぎ戦支度を整えるように下知したのである。
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