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プロローグ
「チーフ、このアングルなら町は映りこみませんよ!」
崖っぷちに立つ成年が大声で言った。すると彼の上司らしき男が現れ、恐る恐る石垣の突端に立ち、遥か下の海面を覗き身を震わせる。
崖下から吹き上がる初夏の風は冷たく、岩肌で砕かれた波がしぶきを巻きながら天へ向かってはじけ飛ぶ。チーフと呼ばれたその上司らしき男はしかめっ顔のまま傍らに居た女性にその構図をスケッチさせ、後方に顔を振りぬくと大声で構成作家を呼んだ。
日本海に向かって首を伸ばすようにせり出した高台には小さな公園があり、その中央には大きくて立派な黒松が生えている。その黒松を囲むように数名のスタッフが顔を見合わせ、そして打ち合わせを始めた。
それぞれの手元の台本の表紙には『高那道兼の最期』と書かれている。
かなり歴史に詳しい者でも【高那道兼】と聞いてピンとくるひとはいないだろう。
道兼は戦国時代中期、因幡国の高那村を治めていた小郷士で、織田信長が中国地方へ勢力を拡大しはじめた1578年、羽柴秀吉の軍勢に蹂躙されたった1代で絶えた悲運の家系である。
現代ではこの地方の史書にさえ【高那氏】の名を見ることは無い。微かに土着の風説にのみ語り継がれる無名の士である。
「こんな田舎郷士のドラマ作ったところでいったい誰が見ますかね?」
先の視聴率を懸念した若いADがおもむろにため息をついた。するとチーフは丸めた台本でその後ろ頭をコツンと叩き仏頂面で叱咤する。
「視聴率を稼ぐばかりがテレビ屋の仕事じゃぁないさ」
歴史上の有名人なら様々な演出家によって擦るだけ擦りきられている。今さら新しい解釈を持ち寄りドラマチックに仕立てたところで、そこから得られる感動もたかがしれている。
逆に人知れず散っていった者たちの物語には果てがない。無名が有名に成りあがるあの快感は何ものにも代えがたく、まさに演出家冥利に尽きるというものだ。
「道兼は確かに凡庸だったかも知れないが、俺たちは無能じゃないだろ?」とチーフは片目をつむった。そしてどう魅せるかを皆で考えるのが自分たちの仕事だと若いスタッフを諌めた。さらには今一つ活気に欠ける打ち合わせを嫌い、先ほど立ち寄った古寺で聞いたこの土地の伝承などをひとつ語り始めたのである。
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