この友にしてこの私あり

2/3
前へ
/126ページ
次へ
 違うだろう。どう考えても違うだろう。  本来なら、そう言ってすぐ訂正すればよかったのだと思う。  しかし、彼女があまりにナチュラルに「おならしよう?」と言うものだから、素で言ったのかボケたのか判別がつかなかった。  子供たちを優しく見守る目、私にしか聞こえない絶妙な声量。  視界と耳に届くセリフが合わない。その表情で「おならしよう?」とは言わないはずだ。  結局、私は「いや、大繩でしょ」と実につまらない返しをしてしまった。疲労のせいで、頭のキレがいつも以上に悪くなっていたことが悔やまれる。  その後は、なんとなく会話が切れ、またしばらくしてから別の話題に移った。  最近何かあった?と聞かれたので、ウォーキング用に履いていたズボンの尻が破けたという話をしたら、爆笑された。  友人の「おならしよう」が素なのかボケなのかは、最後まで聞けずじまいだった。  空耳ではない。確かに「おならしよう」と言ったのだ。つけ加えると、そういうことを言う可能性は充分にある人なのだ。  彼女と別れて、帰宅の途についてからも、しばらくそのことを考えていた。  素で言ったならかなり面白い。どういう耳をしているのか。一方、ボケだとしたら相当頭の回転がいいと思う。あの瞬発力は大喜利向きだ。  まあこの際、素かボケかの脳内議論はいいだろう。大事なのは、それが面白かったということだ。
/126ページ

最初のコメントを投稿しよう!

24人が本棚に入れています
本棚に追加