24人が本棚に入れています
本棚に追加
ここで、私の思考は別の方向へシフトしていく。
実際、あの男の子が「おならしよう!」と提案して、仲間が「いいよ!」と乗ってきたらかなり面白い。
少年たちを止める者は誰もいない。付き添いの大人とて無理だろう。子供3人のパワーを侮ってはならない。
彼らは、それぞれの遊びを中断し、楽しいおならに全力を注ぐのだ。
ツッコミ役は、周りの通行人がいいだろう。この場合、私と友人あたりがちょうどいい。仲良くおならをする少年たちを「えっ、えっ?」と戸惑いつつ、ツッコみつつ笑う。これがいい。
ニヤケかけたところで、ここが外だということを思い出す。
私は一体、何度マスクに救われれば気が済むのか。
なんなら、実は救われていないような気もする。多分、1人や2人は私の不審な表情に気づいているんだろう。
ふと思う。
友人の「おならしよう」も結構おかしかったが、そこから妄想を始めてしまう私も私だ。
彼女とは、頻繁には会えないものの、卒業後も変わらず楽しく付き合っている。
つまりはそういうことなのだ。この友人とこの私だから、何だかんだ上手くやっているのだろう。
この親にしてこの子あり、ということわざがある。あれは本来、褒め言葉として使われるのが正しいらしい。
ならば、我々もいい意味で使ってみようではないか。
この友にして、この私あり、と。
最初のコメントを投稿しよう!