桜の看板

1/2
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/2ページ

桜の看板

「おお、珍しい。ビールがいっぱい入っている」 久しぶりに帰ってきた娘が冷蔵庫を開けて叫んだ。 「おお。エビスに。黒ラベル。プレミアムモルツまで。どれ飲んでもいいんでしょう。のど乾いちゃって」 娘は冷蔵庫から缶ビールを出してきて、うまそうに飲みだした。 「ああ、うまい。たまらないねえ。もしかして、このビール、またあれ?」 「そう。あれ」 「お母さんも物好きね」 「物好きはないでしょう。これでも人助けなんだから」 「人助けね。まあ確かに究極の人助けかもね」 わが家は周囲500メールほどの公園の隣に建っている。公園の真ん中には、昔、農業用水のために作ったと思われる池があり、その周りに桜が植えられ、市民の憩いの場として整備されていた。東屋も建てられ、近隣では桜の名所として知られ、春になると花見の宴がいくつも見られた。 ところが、この公園にはトイレがない。これぐらい大きな公園なのだから、トイレくらい作ればよいと思うのだが、ない。花見の宴を見る度に、トイレは大丈夫なのか、といらぬ心配をしてしまう。近隣からの花見客ではあるだろうが、それでも、ちょっとトイレのためと家に帰るには、遠かろう。もしかして殿方はどうかするのかもしれないが、花見客に女性を見ることも多く、余計、心配になる。花冷えの日はなおさらだ。 そこで5年ほど前から花見の季節になると、段ボール紙に「花見の皆様。どうぞわが家のトイレをお使いください。もちろん無料です」とマジックで大きく書いて紐を通し、門扉に掛けておくようにした。 最初は、見ず知らずの家にトイレを借りる人などいるものかしら、とは思ったが、やはりトイレ問題は重要とみえ、しばらくすると、ピンポーンと呼び鈴が遠慮がちに1回鳴った。出ていくと、申し訳なさそうな顔をした人が門の前に立っていて 「こちらの看板を見まして・・・。すみません。トイレをお貸しいただけますでしょうか」 と、言ってきた。看板に気を留めてくれた人がいたことがうれしくて、こちらも 「どうぞ、どうぞ。ご遠慮なく」 と遠来からの友人を迎えるように、満面の笑みで門扉を開けにいき、玄関までご案内する。わが家のトイレは玄関入ってすぐのところにあるので、こういうとき便利だ。 大体、女性は2人連れで来ることが多く、やはりトイレが近い年配者が圧倒的に多い。用をたしている間は、こちらもちょっとリビングに戻り、様子を伺い、もう一度、玄関に顔を出すようにしている。そうして皆、一様にほっとした表情になって、何度もお礼を言いながら、宴に戻っていく。その後ろ姿を見ていると、こちらも安堵の気持ちになる。 そうして1時間ほどした頃、また呼び鈴が鳴る。出てみると、さっきほどと同じ方。トイレがよほど近いのかしらと思ったら、今度はお仲間がトイレを貸して欲しいのだそうだ。 「どうぞ、どうぞ」 と、再び玄関にご案内すると、決まって 「あの……。もしビールがお好きでしたら、飲んでいただけないでしょうか。残りもので申し訳ないんですが」 といって、ビールやら発泡酒やらが入ったビニール袋を玄関先に置いていく。まさに棚からぼた餅。ありがとうございます。 そうして翌年には、また同じグループの方たちがやってきて、わが家のトイレを借りるようになり、最初からわが家へのお土産用にと、ビールやつまみを置いていってくれるようになった。そんな顔なじみのグループが一つ、また一つと増えていき、中には気の利いた女性がいるグループだと、旅先で買い求めたといって有名な菓子折りを添えてくれたりするようになった。 そのようなわけで、桜が咲くころになると、わが家はトイレを念入りに磨き、トイレマットを洗濯し、タオルを新調し、庭の馬酔木や鈴蘭水仙を一輪挿しに活け、トイレを整えるようになった。天気のよいお花見日和はできるだけ外出を控え家にいる。トイレの窓を開けて風を入れ、玄関を掃き、門扉に看板をかける。 ただ最近は、一文を書き足して看板を作るようになった。 「花見の皆様。どうぞわが家のトイレをお使いください。もちろん無料です。ただし酔客の殿方は必ず座って、用をたしてください。よろしくお願いいたします」 トイレはとにもかくにも重要なのだ。桜咲く季節がやってきた。  完 
/2ページ

最初のコメントを投稿しよう!