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一
目を覚ますと、何やら屋敷の中が騒がしかった。玄と名乗った大天狗という種類の妖怪からもらった部屋をそっと出て、壁をつたって角を二つ曲がると、背の高い二人の男が立っていた。その内、手拭いで頭を隠した男がしゃがんで言った。
「どうしたんだい? お嬢ちゃ……あっ、紅い瞳」
男は私の目を見てそう言うと、もう一人の男の方を見て言った。
「見たかよあの子の目、すげぇ、ほんとに紅いんだな……きれい……って、あれっ」
私は夢中で逃げた。私の紅い瞳を見ると、決まって私に石を投げつけたり、木片とかでぶったりするのだ。だから、やられる前に必死で逃げた。
少しして辺りを見ると、私の部屋から見える裏庭とは違う景色が広がっていた。もと来た場所とは違う所に来たことに気づき、この縁側の隅に立ち、殺風景な庭に一つだけある綺麗な井戸を眺めた。そしてふと近くに視線をやると、すぐ近くに大きな背中があった。それが玄のものではないと分かりそっとニ、三歩下がると、お腹が鳴った。それが聞こえたらしく、大きな背中はこちらを振り向いた。着物を着て人型の姿をしているが、身体は毛むくじゃら。頭は獣の、いわば半獣姿の男だった。
「……食うか?」
狼の頭をした男は、低く聞くとそつと笹の葉に乗せた握り飯を差し出した。私はそっと近寄り、その男の右側に座った。そして差し出された握り飯を一つ手に取った。
「ありがと」
「……あぁ、水もある」
「うん。ありがと」
「おう」
握り飯を半分食べた時、奥からさっきの男達が来た。
「あっ、さっきのお嬢ちゃん!」
私は狼の頭の男の元に隠れるように身体を寄せた。狼の男はそっと私の肩を抱くとそっと言った。
「大丈夫だ。あの鬼は馬鹿だが悪い奴ではない」
「ごめんね、びっくりさせちゃったね。俺は山吹っていうんだ。お嬢ちゃんは?」
「……く、紅葉」
「そっかぁ、くれ……そこのお兄さんとよく似た名前だね」
私はよく分からず困っていると、山吹と名乗った鬼の横の男が、私を見て笑って言った。
「そのお兄さんは朽葉ってんだ。ちなみに俺は萩だ。先生を探してるのか?」
「玄っていう人、知ってる?」
私がそう聞くと、萩と名乗った短髪の鬼が応えた。
「知ってるよ、その玄って方が、俺達の先生だからな」
「先生?」
「そうだよ。もうすぐ……げっ、先生」
「残念やったなぁ山吹。演習、自分からやで」
「いやいや先生、この子がもう少し俺に懐いてからやりません?」
「あほ言うなや……ん? この子?」
玄がこちらをのぞいた。そして私を見て言った。
「……腹、減ってたんか?」
「お昼ごはん、食べてなかったから……」
「そうか。後でちゃんとした飯作ってやるさかい、今はそれで我慢してな」
「うん」
玄は笑って私を見ると、すぐ近くの広い部屋に入って言った。
「行くぞ、山吹」
「はぁい」
山吹は嫌そうな顔をして返事をした。私は部屋の中が気になって覗くと、朽葉が低く言った。
「見てみるか?」
「うん」
「よし、じゃあそれを食べ終わったら俺と見てような。俺はもう終わってるし」
「そうだな。私は最後だろうからな」
私は二人が何を話しているのか分からなかったが、とにかく目の前の握り飯を口一杯に頬張った。
朽葉から水を貰いながら握り飯を食べ終わると、萩と共に部屋の中に入った。そこは広い道場になっていて、丁度玄と山吹の演習が終わったらしかった。
「一対一で実践形式でやる稽古でね、俺達は演習って言ってるんだ」
「えんしゅう……」
「そう。で、一番長く、派手で本格的なのが今からやるんだけど……見たくなくなったら、俺の身体に抱きついて、伏せてれば良いからな」
「うん」
すると、広い道場の中央に玄と朽葉が立って、一礼をした。それからは、大きな音が聞こえるだけで二人の動きは早くてよく分からなかったが、木刀を拾った朽葉の首元に玄の木刀が寸止めした所でその演習は終わった。何となく、朽葉が強いこと。玄が朽葉より遥かに強いことが分かった。
少しして、朽葉達は帰っていった。玄は道場を閉めると、私を見て言った。
「少し休むか? 茶を淹れるから待ってろ」
「うん」
玄は湯呑みを差し出した。私はそれを飲むと、玄を見た。玄は煙管に火をつけて言った。
「一応儂は親代わりやからな……その……あれや、そんなに固くなるなや」
「うん」
私は暫く湯呑みを見ていた。そしてふと玄を見ると、玄は煙を細く吐き、頭を掻いて言った。
「……あっ、せや、わがまま言い。安心せい、あかんかったらそう言うさかい」
「わがまま?」
「こうしたいとかあれしたいとかこれは嫌やとか言うことや。難しかったら少しずつでええから」
「うん」
私は俯いて、何がしたいか考えた。玄は静かに待っていた。
「……散歩したい」
「わかった。明日な」
「うん」
その夜、布団の中で明日が楽しみで寝付くのに時間がかかった。
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