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すっかり空っぽになった薄っぺらの封筒を近くのごみ箱に突っ込み、高校の時から着まわしているのでダルダルのズボンに手を突っ込む。
春のうららかな天候は昼までで、日が傾き始めてから肌寒さを感じさせる、からっ風が吹き出す。花粉と共に鼻先に入り込もうとする風に鼻がくすぐられる。ゾロゾロと足並みにより勝ち負けが明白な連中に混じって猫背のままゲートを潜り抜ける。競馬場を名残惜し気に後にすると、駐車場周辺で路上屋台を畳む連中の姿が見えた。サングラスをかけた厳つい男がいるので地面を見ながら話しかけられないようにする。その堅気っぽくない連中にまじり大学時代の悪友の一人が寒々しい風を物ともせず、半そでのTシャツに腰パンという素晴らしきファッションセンスを用いてせっせと片づけに勤しんでいたので思わず顔を上げた。バイトで雇われたのだろう、何をすればいいのかわからずぼったちになっている女の子たちに手伝ってもらいもせず黙々とベビーカステラ屋さんを解体している。相変らず女の人は苦手なようだ。
話しかけようかと一瞬思ったが、仕事中だし悪いかな、とそうそうに立ち去ることにした。大学を卒業後、一度も会っていなかったので懐かしく思ったが、半径1mに怖い人が多すぎる。そのまま駐車場を突っ切って通り抜け、寂しく電車にでも乗ろうかと通り過ぎようとしたが、向こうも僕に気付いたらしい。
「おう、おい」
友人、安部静真の口癖であり、話しかけるときに身構えなくてすむ声かけに、僕も応対する。器具を畳みつつ声をかけてきた静真に手を近づけながら近づく。
「おうおう」
こちらもオットセイみたいになんの意味もない返答をする。お互いそこまでコミュニケーション能力が高くないのが災いし、まずは軽いジャブから会話を始めることが多かったのだ。
「よう、元気そうだな」
バケツで溜めた水でへら等を洗いながら、僕ににこやかに話しかける。近くで屋根の解体をしていた女の子が軟化した静真の態度に驚いたのか、チラチラとこちらを見つつ、傍らの友人に話しかけている。どうか、悪口じゃなくあってくれと、切に願う。僕は煙草を吸っている連中に目を付けられないように猫背を強くして体を気持ち小さくした。
「そっちも元気かってか、寒そうだな。僕は懐が寒いが」
「いやなに、寧ろ暑いくらいだ。カステラ作ってる時なんざ真夏と錯覚するくらいだからな。揚げ物組に比べりゃマシだが。その様子だとドでかく負けこんだな」
心外なことに静真はだろうなと僕のド負けを決めつけた。その通りだが。
素寒貧さと、ズボンのポケットをひっくり返し中のゴミを宙に回す。
「幾らだと思う?」
「俺は限界までかけて、18万だったな。それより上か?」
「はは、大分かけたな。いや、それより上だ」
「うーん、じゃあ25万とか?流石にそんなには賭けないか」
「上だ」「なるほど…、それはかなり寒いな、家のもので何か燃やさないといけない」
燃やす、つまり差し押さえということだろう。借金でもしたと思っているようだが、そこまでは理性が制御してきた。
ちょいちょいと顔を近づけさせ、周りに聞かれないよう小声で静真に言う。どれどれと好奇に満ちた顔で僕の声を取りこぼさないよう姿勢を静真は低くする。
「どうしよう、じいちゃんの遺産450万円分、全部ここに置いてきちゃったよぉ」
笑いもせず、驚きもせず、静真は冷静に、半泣きの僕に「え?」と素のトーンで返し、高速瞬きをした。
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