つまり世の中確率である

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つまり世の中確率である

 賭け事の勝つ作戦がもしこの世にあるとするなら、僕は逆張りだと思う。  ギャンブルには配当率というのがあり、不人気なものに賭ければ人が少ないほど貰える金額は多くなる。例え100円ぽっちだとしても18頭くらいのレースを3連単して、尚且つ配当率の低い馬を見事的中させれば最高5億円を儲けることだってできる。宝くじよりも胸をときめかせるロマンの塊だ。これがもし、一番人気に賭けていた場合しょぼい当選で2,3000円くらいなものだ。ロマンがない。ギャンブルはロマンを追う人間が勝つものだ。  と、僕は今の今まで信じていたが、無情なことに神は明日からカップ麺生活を強いられる僕に更なる天罰を与えなすったらしい。昨日までホクホクと眺めていた給料袋はペラペラで、千円札一枚の薄さすらない。どうやら、一カ月がんばった証は何一つ残らず、全てこのちゃちな紙切れにすり替わってしまったようだ。あーあと落胆する人混みの中で、僕はヒラヒラと舞い、地面に無事着地した万馬券を血眼で探り続けた。極々たまに、勝利馬券を間違えて手放す馬鹿がいることを漫画かなんかで知っていたのだ。赤切れの目立つ手でアスファルトを底から引っこ抜くようにガリガリとひっかき、舐めるように万馬券と戯れる。これが果ては医者か、弁護士か、はたまた国会議員かと期待されていた寺山秀夫の成れの果てかと思うと自分でも涙が出てくる。  必死に僕が馬券に書かれた数字を読んでいるとあまり風呂の入ってなさそうなおっさんとすれ違った。お互いに四つん這いになっていたが、おっさんの方は肘部分が擦り減っており、かなり年期の入った手練れだろう。非常に素早い動きで、ゾロゾロと変則的な態度を取る周りの動きを予測し馬券に手を伸ばしている。しかし、なんというか、尻を少し浮かせてシャカシャカゴキブリみたいに動いている姿に僕は浅ましさを感じてしまった。  (…何をしているんだ僕は)  おっさんのお陰で正気に戻った僕は、下手なことをして汚れた膝をはたき立ち上がり、溜息を吐く。ズボンに張り付いていた馬券を取って一応見る。100円の単勝馬券、もちろん紙くずだった。  父方である寺山家といえば、何と言ってもギャンブルである。僕の父の祖父は非常にギャンブルが好きで、曾祖父からずっと以前の先祖はギャンブルを生業としてきたらしい。祖父は複雑なギャンブルは好きではなかったらしく、最も行ってきたものは丁半だった。サイコロの出目が丁か半か、つまり偶数なのか奇数なのかを当てるだけという非常にシンプル(もちろん覚えることはまだあるが)なギャンブルで、小さな子供でもわからないなりに楽しめるものだった。  祖父の家に遊びに行くとしわだらけの手の中で2つのサイコロがカチャカチャ音を立て、座椅子に腰かけている祖父がいた。祖父は何をするのか決めるときに年季の入ったサイコロを使った。手慣れた指使いでこういういかさまがあると教えられつつ(出来ない)、僕は祖父と単純なサイコロ遊び、もちろん丁半もよくしていた。年が上がるにつれ、丁半以外のギャンブル事もお金はかけずともやりだし、中学に上がるまでに麻雀の役は全て覚えこんでいた。  祖父の血筋を受けた父も、生真面目なサラリーマンとして生きているが、裏の顔は祖父と同じで賭け事に夢中だった。会社の昼休みや休日には競艇や競馬の中継を聞き、母に何度もガミガミと叱られていた。と、いうより呆れていたかもしれない。母は寺山家の人間ではないが、父親が非常にパチンコ好きでギャンブルは僕と同じく日常だった。僕と違うのは、僕はそのギャンブルで祖父や父と楽しくできていたが、母はギャンブルのせいで悲惨な出来事を何度も体験してきたことだろう。自分が大事に貯めていた500円貯金が無残に粉々になっていた時は本当に憎んだと語ったこともあるくらいに。  しかし、母はギャンブル事を止めることはできないと知っているのか、父にはお小遣い分を越えなければいくらでも使っていいと許しを出している。それに甘んじて父が日頃のお礼と評して宝くじを渡したときは流石に呆れていたが。  で、僕である。寺山秀夫、23歳、フリーター。それにプラスして僕はギャンブルがもちろん大好きである。名前の由来は非常にしょうもないことで、父と祖父の好きな作家から取られたものだ。母は反対したが、丁半に負け、仕方なく決定した。そのため母の候補である秋生ではなくなった。(どっちもどっちである)  ギャンブルとはいっても、これまでの僕はかわいいもので、大学の友人と仲間内で麻雀をする時は飴玉を賭けるぐらいしかしてこなかった。かわいいだろう。勿論競艇や競馬はバイトの給料の余裕分をぶっこんでいたが、この二つは国公認のギャンブルなのだから後ろめたさは一切なし。パチンコは先輩から誘われたことがあるが、機械相手より僕は生きた脈動を感じれるものがいい。それにパチンコはハマってしまったらなによりも中毒になるだろう。大学時代の僕にそんな余裕はない。  僕は勉強も好きで、中高とトップに君臨していた(*全ての科目ではない)。推薦した国立の大学に一発入学後、周りからの期待を気持ちよく受けながら、高給の職に就くべくせっせと学び続けた。そんな僕が、どうして23にもなってフリーターで汚い地面をせかせかと這う羽目になったのか。それはもう、色々とあったのだ。  
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