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「別に学生なんて自由だろ」  口を閉ざしたわたしに先輩は吐き捨てるように言った。 「親の金で学校行って遊んで飯食って寝て、その繰り返し。十分自由だろ」  先輩の表情は目にかかる長い前髪でよく見えなかった。 「ほんとうに……」  賑やかな声がずっと遠くから聞こえてくる。 「ほんとうにそう思ってるんですか?」  別れを惜しみながらもどこか希望に満ちているような、そんな声。 「じゃあなんで翼もないのに飛ぼうとしたんですか」  突如ぶわりと巻き上げるような風が私たちの間を通り過ぎた。  先輩の髪が揺れて、驚きに溢れた目があらわになった。  乱れた髪をぐしゃりと握って、先輩は短く息を吐き出した。 「っは? なに、言ってんの?」  いつもと違った階段の踊り場。  その先にあったのはいつもと違って鍵の開いた扉。  さらにその先にいたのはいつもはいない先客。  落下防止用の柵に足をかけている先輩だった。  まるで空に焦がれるようにずっとずっと向こうを見上げて、まさに境界線を乗り越えようとしているところだった。  なのにわたしの気配に気づいた先輩はなんでもないというように装った。  平然とわたしに声をかけたその目はまるで、息をしていないかのようだった。 「なんで死のうとしたんですか」  先輩の背中に少女のような翼はなかった。 「俺は別に死のうとなんかしてな――――」 「翼のない人間なんて落っこちて死ぬだけですよ」  先輩もわたしも、大空を舞う翼を持ち合わせてはいなかった。 「ッお前に! 関係ないだろ!?」  先輩の空気を切り裂くような声が空に響いた。  先輩は怒ったように、そして怯えたようにこちらを睨みつけていた。 「誰にでもわかる正論言って満足してんじゃねぇよ! 翼がないと飛べない?  そんなことわかってんだよ!」  先輩は叫ぶように、次々と言葉を吐き出した。 「どうせお前も死ぬなんて間違ってるって偉そうに言うんだろ!?」  息をする暇もないくらい捲し立てるその声は怒っているようで、やっぱり泣いているかのようだった。 「生徒会長で代表にも選ばれる優等生には俺みたいな落ちこぼれの気持ちなんてわっかんねぇんだよッ!!」  何かの蓋が外れて中身が勢いよく流れ出したかのような先輩の本音は、カタチを残すことなく溶けて消えていった。  先輩は全てを吐き出したのか肩で息をしながら、バツが悪そうに顔を伏せた。  再び聞こえてくる、楽しそうな笑い声。  屋上に流れる空気とは対照的すぎて拍子抜けしてしまいそうだった。 「生徒会は辞めました」  自分で思っていたよりずっと落ち着いた声が出た。 「わたしは4月からこの学校には来れません」  理解できないとでもいいたげに眉間に皺を寄せた先輩が、恐る恐る顔を上げた。  その瞳から怒りは消えていた。 「わたし、このままだと死ぬそうです」  先輩の口は確かに「は?」と動いた。  けれど空気の揺れがこちらに届くことはなかった。 「先輩の気持ちはわかりません。わかりたくもありません」  先輩がきゅっと口を結んだのがわかった。 「でも先輩をみてると無性に腹が立ちます」  でもわたしの口から出る言葉が止まることはなかった。  自分のコントロールを失っていることを悟られないよう、平静を装うことに必死だった。 「まるで自分がこの世で一番不幸です、みたいな(ツラ)してんのが気に食わないです」  むかついて、イラついて、やっぱりむかついた。 「わたしは死ぬかもしれないわたしを悲劇のヒロインだとは思いません。思いたくありません。思われたくもありません」  自分が何にむかついているのか。  自分が何に対してイラついているのか。 「わたしはわたしで、自分自身で自分が生きていることを証明したい」  わからないようで、きっとわかっている。  ほんとうはずっと前から気づいていた。 「それなのにみんなかわいそうな目でわたしを見るんです。先生も友達も、みんなみんなわたしのことをかわいそうな子として見るんです」  哀れな目で見られる自分が情けなくて。 「『絶対治してまた一緒に授業受けようね』って、『帰ってこいよ』って。絶対なんて保証どこにもないのに、帰ってこれないかもしれないのに。みんな良いこと言ったと思って自分に酔ってるんです。本当に腹が立つ」  いつのまにか自分のために放たれた言葉を素直に受け取れなくなって。 「先輩も一緒ですよ。先輩のどこが落ちこぼれなのかなんて知りません。だってさっき会ったばっかりですもん」  明日を生きられる可能性が自分よりずっと高い人に対して醜いほど嫉妬している。 「仮に先輩が世界一落ちこぼれだったとして、何かに挫折して絶望しているのだとして、それはもう二度とやり直せないことなんですか?」  羨ましいと思っている。 「生きてるだけじゃどうしようもできないことなんですか?」  喉から手が出るほど、約束された明日が欲しいと思ってしまう。 「じゃあその命わたしにくださいよ! わたしが代わりに生きて、わたしが絶望から這い上がってやるのにッ!」  でもなにより、明日を生きられないかもしれないと弱気になっている自分にむかついて。  他人を羨んでばかりいる自分にイラついて。  心のどこかで自分の方が不幸だと悲劇のヒロインぶってることにむかついてしまうんだ。 「先輩」  ギュッと握りしめた自分の拳が震えているような気がしたけれど、気づかないフリをした。 「わたしは今年の桜を病室から見ることになるそうです」  気づいてしまったら、死ぬことに怯えている自分を認めてしまうような気がした。 「来年の桜は見ることすらできないかもしれないそうです」  ポタリと頬を伝った雫に、いつのまに雨が降ってきたのかと空を見上げたけれど、そこにはやっぱりあの絵のような透き通る青が広がっているだけだった。 「先輩は今年の桜、見れそうですか?」  別れを惜しむ先輩達の声はしばらくやみそうになかった。
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