好きの先の今の私

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「姉ちゃん! 今度の大千秋楽福岡でやるんだけど来れない?」 「……どういう事?」 「そのまんまだよ。姉ちゃんに見て欲しくて関係者席空けてもらったから来てよ」  二個下の弟。芸名は中谷蜜太郎。  こんなふざけた名前で仕事をしている弟は、若手実力派俳優と呼ばれる人気俳優。  本名は村瀬慈音。ひらがなで書くとむらせじおん。私の名前は村瀬詩音。むらせしおん。  濁点がつくかつかないか。名前にはそれだけの差しか無いのに、私と弟の存在価値は天と地。  初めて見た舞台で感動したのは私だけじゃなかった。  私は支える裏方を選んだが、弟は役者を選んだ。お互いに志て、励ましあって。  多分、今思うと、それが何よりしんどかった。  私はただの学生で、弟はどんどん人気になって、私が実習の本番でオペをミスって号泣して家に帰っても、弟はその日有名舞台のオーディションに受かってて。  私がいくら頑張っても、弟と肩を並べる事なんて無かった。  嫉妬は無い。嫉妬するなんてとんでもない。  ただ、尊敬した。すごいなと感心していた。すごいと弟を褒め称える度に惨めになった。  弟が私を励ましてくれる度に、作り笑顔が得意になった。本心を隠すのが癖になった。  大好きで大事な弟なのに、顔を合わせるのが、話すのが辛い。そんな風にしか思えない自分が惨めで、憎くて、情けなくてたまらない。 「福岡って……チケット今からじゃ取れないよ。大千ってゴールデンウィーク真っ只中でしょ?」 「その心配はいらないよ」 「なんで?」 「じゃじゃーん!」  弟が鞄から出したのは飛行機のチケット。  一枚目は行きの日付、二枚目には帰りの日付。どちらもゴールデンウィーク真っ只中の日付が書いてある。 「今月の姉ちゃんめっちゃ忙しそうだから、ゴールデンウィークぐらいゆっくりしなよ。シフトまだ出してないでしょ? 三泊四日でホテルも取ったからちゃんと休みつつ観光も楽しんでよ」  弟は昔から人を驚かせるのが好き。びっくりしつつも嬉しくなるやつ。 「……次からはちゃんと私に前もって話す事!」 「はぁい」 「あと、ありがとう。めっちゃ嬉しい。久々に慈音の演技生で見れるの楽しみにしてる」  私がお礼を言っただけで、弟はにぱっと楽しそうに笑う。犬みたいになつっこくて可愛らしい顔が私なんかのために楽しそうにしてくれるのが、とてつもなく嬉しい。 「あと、俺もそろそろ姉ちゃんの歌聞きたいんだけど」 「……今月は無理」 「じゃあ来月は?」 「休みは作れなくもないけど……マイク壊れかけてるしお金貯めないとだから」 「じゃあ、マイク俺が買うから早く歌ってよ」 「そんなん無理。あんたにばっかりたかってるみたいじゃん」 「えぇ〜俺が姉ちゃんの歌が好きで歌って欲しいから買うって言ってるんだよ? 姉ちゃんが俺に買えって言ってるわけじゃないのに」 「気持ちの問題なの。再来月には投稿できるように頑張るからもう少し待ってて」  ミリィ、それが私のもう一つの名前。  何年か前から歌ってみた動画をネットに投稿してる。  私がミリィだと知ってるのは弟と専門の時のクラスメイト、その二人だけ。 「姉ちゃんの一番最初のファンは俺だし、一番姉ちゃんの事が好きなファンも俺なんだからね!」  弟は純粋だ。真っ直ぐ育ってきたから、他の人のことも真っ直ぐ見てるし、真っ直ぐ気持ちを伝えてくる。  もし弟がこんな性格じゃなかったら、もし弟がもっとひねくれた性格だったら、私は嫉妬にまみれてただろうし一緒に住むなんて考えもしなかっただろう。
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