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寓話
「……で?」
「……」
「その話、今する必要あるのか?」
「ある……」
ラブホの一室で、俺に組み敷かれながら必死に抗っているひとりの友人がいる。
「あるからしている。わかれ」
「いや無理だろ! わからんわ!」
「無理じゃない。むしろ今だからこそ必要な寓話だ」
「何が寓話だ! お前のやってることそのまんまだろ! クソ眼鏡がコンタクトにしてきれいに女装して俺をナンパして、ラブホで剥いてみたら友だちだった、……ってどんなオチだよ! 俺の純情返せ!」
「お前の気持ちが性行為と結びついている時点で純情ではない……」
「理屈はいいんだよ、こんな時に! お前ほんっと融通が利かないな!」
「何のためにこの寓話を出したと思っている」
「聞きたくない! むしろ今は絶対に聞きたくない! ったく、明日からどうするんだよ、お前と顔合わせた時……どう取り繕ったって平常心とか無理ゲーだぞ!」
「むしろ今こそ平常心を取り払って欲しくて話したんだが」
「鬼か! 泣くぞ!」
「泣かれるのは……萌える」
「萌えるのかよ! 困れよ!」
俺が長く深い溜め息をついている間に、友人(仮にAとしよう)は俺の首に腕を回して言った。
「困ることなんか何もない。俺の気持ちも姫と一緒だ。ちょっと時代が違うだけで、全然混じり気も何もない」
「いや、嘘つく時点で色んなモノが不純に混じり合ってるだろ……!」
どこから突っ込めばいいのか、いや突っ込んじゃいけないから、俺はA(もう名前も呼びたくない)の腕を振りほどいた。
「そんなことはない。この話にはオチがある」
「オチ?」
んなもの決まってるだろう。離婚。家系断絶。そして完全なる破局だ。待っているのは。
「違う。王子が嘘の国の人間だというところがミソだ」
「何がどうミソなんだ? いや、オチがあるなら聞かないと勿体ない気がするだけで、俺の意見が変わるわけじゃないからな。言っとくけど」
「嘘の国ではどれだけ相手を嘘で誑かせたかが重要なんだ」
誑かす、って言っちゃったよこのA。
「つまり?」
「つまり王子は姫の立派な嘘に涙する。歓喜の涙だ」
「いやそこは絶望とかそういうんだろ普通」
「嘘の国だから」
「なんか適当だな。こじつけてないか?」
「嘘の国だから、嘘は結婚後に公になる。そしてより大きな嘘をついた方が、次代の国王となる資質を持つとされている」
「つまり何だ。姫の勝ちってことか?」
「そう。王子は嘘をついて姫を騙さなければならなかった。騙されるんじゃなく。でも、王子はもっと大きな嘘をついていた。無意識のうちに、自分自身に」
「何だよ? もう何が起きても驚かないから言ってみろ……」
「王子は、大嘘つきな姫を許してしまうほど、本当に愛していたんだ、姫のことを。だからこの話は、王子が取り乱したあとで、正気に返って考え直したあとで、ハッピーエンドになる」
「マジかよ……」
何の寓話か知らないが、ずいぶんとおしとやかでご都合主義で予定調和的な話だな。
「それで? それとこの状況と、どう繋がるんだ? ああ、もう期待してないけど、気になるだけだから教えてくれ。ただの興味本位」
「……わからないのか?」
「わからないね」
「本当に? わからないのか?」
おいそこで馬鹿を見るような哀れみの視線を俺に寄こすな、A(もう全部なかったことにして逃げ出したい)。
「俺がお前の女性の好みを訊いたのも、彼女がいるか確かめたのも、その気があるか尋ねたもの、全部」
「言うな! あーあー! きこえない! 聞こえなーい!」
「全部お前が好きだからだよ」
「言うなよ! 聞こえないぞ!」
「聞こえないならこの際だから、全部聞いてくれ」
そうくるか!
そうくるのかよ!
俺の意志は完無視ですかよ!
「俺は、夢が見たかったんだと思う。一度でいいから、醒めない夢が。今日一日、お前と一緒にいられて楽しかったし、夢の続きが見たくなってしまって欲をかいてしまった。お前の気持ちをないがしろにしたかったわけじゃなくて、本当は、お前といられることを、想い出にしたくなかったんだと思う。でも、やっぱり無理なんだな。現実は、寓話どおりにはいかないんだ。……ごめんな」
「……」
「でも俺、ほんとにここまでしたいほど、お前のことが好きだったんだよ」
何だか俺は動揺した。寓話の王子と同じぐらいたぶん。んで、Aはしゅんとした顔して、ベッドの脇に散らかってる服を拾って、ひとつずつ身につけて、俺の好きな「彼女」に変身してドアへと向かった。
「なかったことにしてくれって言ったら、むしが良すぎるかもしれないけど、……今日だけは、なかったことにしてくれ。それじゃ」
Aはそれだけ言い置くと、静かにドアを開けて出て行った。取り残された俺は、初めて見たAの沈んだ顔に心が締め付けられるほど痛んだ。
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