僕みたいな大人にならないで/後編

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   「僕が見捨てた町ですけど、ここはずっと前から入ってみたかったんですよね。物心ついた頃からずっと見てきた白い建築物、ずっと中はどうなっているんだろうって興味がありました。でも正直営業していたのかもわからないし、建物の目的を理解したときには彼女はいないし、東京から遠いし、小汚くて彼女もセフレも連れてこれないし」  「それで、ネットで釣れた女子高生を代わりにしたんですか」  「でもあなたが脅してきたんですよ、ちゃんと音声残ってますからね」  部屋の扉を開けた瞬間、海の傍だからかさっきと同じ生臭いにおいがした。きちんと掃除されている雰囲気ではなかったため覚悟はしていたが、部屋の電気をつけて目を凝らすと、ふよふよと大量の埃が空気中を泳いでいた。肺に吸い込んで、咳き込む。  「……なんか、とりあえず嫌われてもいい人と来れて良かったです、ありがとうございます」  「感謝されても全然嬉しくないです……」 ベッドに腰掛けると、その衝撃で細かい埃がふわりと舞った。男が唯一駅前にあったコンビニで買った缶チューハイのプルタブを開ける軽快な音がする。9%と書かれた文字が汗をかいている。  「快楽に浸りたいだけだったら一人きりで酒でもいいんですけど、でも弱い、効果が。日中は飲めないし、僕アルコールに割と強い体質みたいで、ちょっとクラクラふわふわして、でも醒めるのは唐突だから、現実に無理矢理引き戻される感じがすごく嫌いです」  そう文句言いながらも缶をあおる男の頬が少しだけ赤らんでいるように見える。試しに「私にもください」と言ってみると、「嫌ですよ、未成年に飲ませたなんてばれるの」とちゃんと理性が残った返事が来て、少し安心した。  少女はスマホ、男は缶チューハイを手にしてずっと黙っていた。このまま普通の旅行と同じように各々風呂入って寝るだけなんじゃないのか。さっきまで勝手に色々喋っていたのにアルコールを入れた途端に寡黙になった男に耐えられなくなった少女が話を切り出す。  「――でも、一人が寂しいのはわかるんですけど、みんながあなたみたいなことしている訳じゃないですか。寧ろあなたの方が少数派だし。きっかけというか、何があなたをそうさせたんですか」  「――どうして僕が僕なのか、ですか」 何かを叩きつけるような大きな音がした、と思った瞬間少女の身体がぐらついて、男がベッドの脚を思い切り蹴ったと気づく。 埃っぽいベッドに仰向けに倒れた少女に、男が覆い被さっていた。 漏れる吐息から煙草の煙とアルコールの混じった匂いがして、「大人」を凝縮したようなそれに気を抜くと酔ってしまいそうになる。  「――アキちゃんは、いつも僕がアパートのインターホン押すとすぐに扉開けて、玄関でぎゅーって長いハグをしてくれるんです。料理が上手で、いつも温かいご飯を作ってくれてました。月曜日なんて、散々じゃないですか。休日のまどろみから急に叩き起こされて、溜まったメールの処理をすると、上司と取引先にへこへこ頭を下げる毎日がまた始まる。アキちゃんは、そんな僕の愚痴を、多分ちゃんと内容聞いてなかったと思うんですけど、『えらいね、頑張ってるね』って、いつも僕の頭を撫でて褒めてくれました。厳しい月曜日に吹きつけられた僕を、その包容力で僕を癒してくれた」 「あなたは、『月曜日のアキちゃん』の代わりになってくれますか」  直接触れていないのに、男の少し高い体温を空気伝いに感じる。彼も、私が発している熱をすぐ近くで感じているのだろうか。  私はもうすぐ、「月曜日のエリちゃん」になる。  覚悟は決めた、こうなるのを望んでいたはずだ。突然の怖さと緊張で体がこわばって動きそうにない。少女は目をぎゅっと瞑った。
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