海辺の町、かすみにて

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見た者が釣られて笑顔になりそうな優しい微笑みを浮かべながら、主が男に声をかける。 常連たちが「へっぺ飲め」と言って残して行った熱燗を手酌で飲んでいた男が顔を上げ、その蕩ける程甘い笑顔に、暫し見惚れる様に動きを止め、やや少し経ってからハッとした表情で、「え、えぇ、皆さん明るい方ばかりでしたね」と、しどろもどろになって答えた。 けれど、そう言葉にしたものの、男の心の中には全く別の思いが行き場なく渦巻いていた。 ―――この笑顔が好きだったんだな…侑久。俺たちはお前から大事なものを奪ってしまったのかもしれない……そして、この人からも――― 先程までの明るい雰囲気が消えてしまった男を、主がカウンター越し、心配そうに覗き込む。 「お客さんどうなさいました?具合、悪くないですか?」 男がその声に弾かれた様に顔を上げると、目の前には今にも泣きだしそうな程に瞳を潤ませた主の顔。 「あ…何でもないです。すみません。ちょっと飲みすぎたかな…」 そう言って誤魔化すように笑い、手に持った徳利を緩々と振って見せた。
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