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古い油のにおいが鼻につく。灰鷗は瞼を上げた。高い位置にある窓からオレンジ色の光が差し込んでいて、午後ももう遅い時間のようだ。だいぶ眠りこんでいたのかと彼は思った。
広い室内はコンクリートがむき出しの床に、錆びた鎖や部品のようなものが転がっている。もとは工場かなにかだったのだろう。
ひどく寒い。吸血鬼の灰鷗は、本来なら寒さには強いはずだが、耐え難い寒さを感じるのは死期が近づいているからであろうか。死んでも良いと決意したはずなのに、寒さを我慢できないのかと情けなく思ったが、彼にはそんな意志の弱さがある。
ぱたぱたと軽い足音が近づいてくる。
──またあいつか。
灰鷗は身を隠そうとしたが、どうにも四肢が動かない。
足音が止まった。
「具合はどう?お腹すいた?」
先のすり減ったスニーカーが視界に入る。灰鷗は無視を決めこもうとした。
「あー、缶詰食べてない」
床には数個の缶詰が積まれている。サバの味噌煮、焼鳥、コンビーフ……吐き気がするようなものばかりだ。唯一目についたのは黄桃の缶詰である。桃やマンゴーを口にすると人肌のような感触がある。しかし甘いシロップ漬けなのが気に入らないから、灰鷗は結局食べなかった。
「今日はちゃんとしたご飯買ってきたよ……コンビニ弁当だけどね」
隣に腰を降ろす気配があって、灰鷗は渋々体を起こした。詰襟の制服姿の少年が座っている。胡坐をかいた膝の上には白いビニール袋があった。
「どっちがいい?幕の内弁当と牛カルビ丼」
面倒くさいことを訊いてくるな。
「どちらも……」
「えっ、どっちもは駄目だよ。俺も食べるんだから」
「どちらも要らん」
かすれた声で答えると、少年は困ったような表情になった。
「食べなきゃ元気出ないよ」
「……」
「もしかしてベジタリアン?」
「……」
「サラダにしとけば良かったかなあ」
交換なんかしてくれないよねと呟きながら、ポケットから財布を出して小銭を眺めている。見つめたって金が増えるわけがない。愚かな人間だなと急に憐憫の情が湧いた。
「いいから、好きな方を食べろ」
「いいの?」
少年は何度もまばたきをした。面倒臭くなって灰鷗は頷いた。
「わー、どうしよう。ここはカルビ丼かな。でも幕の内の方が色々食べられるんだよなー」
真剣な顔でしばらくふたつの弁当を眺めていたが、
「やっぱカルビだなっ」
と、丼の蓋を開けた。
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