第一章

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第一章

 木場壮介(きばそうすけ)は、正座したまま、赤沼成志(あかぬませいじ)の視線から逃げることなく、正面から受け止めていた。  伴侶を早くに亡くし、男手一つで娘を育ててきた成志の顔には、いくつものしわが刻まれている。仕事と家庭との狭間で幾度ももがき苦しんだはずなのに、悲惨さや苦労を感じさせるものはない。苦難を乗り越えてきた自信に裏打ちされた、揺らがぬ自我を感じさせる。じっと見つめていると吸い込まれていきそうな澄んだ瞳には、邪なものを許さぬ厳しさと、誠実なものに対する慈しみが同居していた。  こんなことを感じるのも、今日は、成志の一人娘である沙羅(さら)との結婚を許してほしいと直談判しに来たからだ。 「今日は暑いな」成志は外に視線を向けた。  ええ、と壮介は控えめに答えた。今日は確かに暑い。初夏の陽気だ。が、それだけではない。壮介が汗をかいているのは、緊張から来るものだと成志はわかっていて言ったのだと受け止めた。成志の視線の先を追う。窓枠は青い空で埋め尽くされていた。  壮介は、額に滲んだ汗をハンカチで拭った。  ここ、東北の春は遅いのだが、四月の末には桜の満開を迎えた。五月の連休を待たずに花は雨風で早々に散り、今は枝に青々とした葉を茂らせている。  ま、楽にしてくれよと言われても、簡単にはいとは言えない。頬が引きつっているのが自分でもわかる。  壮介は、成志の柔和な表情から放たれる視線を受け止めてはいるが、気圧されていた。よく言う「顔は笑っているが」というやつだ。 「うちの娘でホントにいいのかい?」成志は少し上目遣いになった。壮介は、値踏みされている気がした。 「はい」顔を上げて即答した。腹は決めてある。  ん、と成志が頷いた、ように見えた。 「知ってはいると思うけど、じゃじゃ馬だよ、とんでもなく気が強いよ」  成志は、ちらと壮介の隣にいる娘、沙羅を一瞥した。沙羅は、いつになく神妙な表情をしている。
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