花嵐

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 十二歳になったその日、私は生贄にされることになった。  この村でいちばん高い山に祀られている神様、花嵐様。三年に一度、何人かの人が生贄として捧げられることで花嵐様からその恩恵をいただける。  この風習は私が生まれるずっと前からこの村に根付いていたものらしい。私も小さい頃は昔話のようによく聞かされた。 「花嵐様は捧げた分だけ恩恵をもたらしてくださるんだよ。だから、幸せになるためにはうんと清い贈り物をしなければならないんだよ」  母はうっとりとした顔で言った。  このときから私の運命は決まっていたのかもしれない。  ここ最近、村は少子化の問題を抱えていた。そのために今回は健康な子供が生贄に選ばれ、花嵐様に子孫繁栄を願うことになったのだ。  選ばれた子供は五人。年齢も性別も背格好も全く異なる五人だった。  捧げられる当日、私はいつもなら着られないような立派な着物に身を包んで、山の麓で神主を待っていた。というのも、山自体が神聖なものとなっていて、神主の付き添いなしでは登ることを禁止されているからだ。 「こんばんは」  ふと、背後から声をかけられ、振り向くと、そこには神主の姿があった。想像していたよりずっと若くて、本当にそうなのか疑ってしまう。 「あなたが今回の」  私がコクンと頷くと、神主は「そうですか……」と静かに返した。そして「どうぞこちらへ」と山への階段を案内する。 「あの、他の子は……」  まだ揃っていないのに、山を登ろうとする神主に疑問を覚え、私は尋ねた。  神主は私に背を向けたまま、俯き気味に、 「他の子は急な怪我や病気で候補から外れてしまったのです。今回は健康な子でなければなりませんから」  私はそのとき、妙に納得してしまった。年齢も性別も背格好も全く異なる五人を仕分けたとしたら、どうなるか。  我が子としての純粋な愛情を受けて育ったか、生贄としての歪んだ愛情を受けて育ったか。  私は後者だったのだ、と。  頂上までの階段をゆっくりと上がっていく。  不思議なことに、一段、一段と上るほど、私の死への恐怖心はなくなっていった。  この世の全てを知っていくような感覚。キリキリと肌を刺す寒さが私をより冴えさせる。  頂上への階段も中盤に差しかかると思われた頃、前を歩いていた神主が口を開いた。 「あなたは、今まで花嵐様へどんな捧げ物がされて、私たちがどんな恩恵をいただいてきたのか、聞いたことがありますか?」 「前回とその前のことは……それ以前はよく知りません」  母は花嵐様の素晴らしさを語るだけで、その歴史やどんなことが山で行われてきたのかは教えてくれなかった。 「これは代々、神主をやる者に継がれている話なのですが……聞いていただけますか?」  私は神主の何か訴えかけるような目に圧されて、また首を縦に振った。 「この風習が始まるきっかけとなったのは、この山の頂上に埋葬されたある母親の話でした。あるとき、大切な一人娘が行方不明になってしまい、必死に探し回ったのですが、見つからず、とうとう亡くなるまで見つかることはなかったそうです」 「……」 「晩年、その母親は周りの人にこう言い残したと言います」  神主は一息吐くと、 「あの子はきっと空に行ってしまったんだ。空を眺めるのが何よりも好きな子だったから。……私が死んだら、どうか村でいちばん高い山のてっぺんに埋めてください。あの子が待っている空に一秒でも早く辿り着きたいから」  風が唸りを上げて吹いた。一瞬、神主にその母親が乗り移ったかのような話しぶりだった。 「遺言を聞いた人々はその通りに母親を埋葬しました。すると、その周りに生えていた花の蕾が驚くような速さで開いていったのです。薄紅色でした。包み込むような、優しい花の色と香りは亡くなった母親の子を想う気持ちが反映されているようでした。そうして不思議なことに、その香りは村中に広がって、人々に親子の愛の大切さを思わせたのです」  そこまで聞いたところでちょうど、階段を上り終えた。  山頂には鳥居と小さな祠があり、その祠の周りには今にも開きそうな大きな蕾がたくさん揺れている。 「これが先ほどお話しした花です。三年に一度、蕾をつけ、近くに埋められた人の尊さを吸い取って開花する花、花嵐です。花の色はまちまちですが、赤系統が多いです。香りも同様で、毎回、違った香りを漂わせます。埋められた人ごとに違うのです」  私は神主の顔をそっと見上げた。闇夜の暗さで表情はよく分からなかったが、その目は不気味なほどにこちらを見つめていた。 「これから儀式を行います」 「……何をするんですか」  神主は私から目を逸らすことなく告げた。 「あなたを生贄として捧げるため、ここに生きたまま埋めます」  よく見ると、祠の前には大きな穴が空いている。  私はその穴を見て、自分の死を思った。  ここが最期なのだ。ここに殺されるのだ。  しかし、神主は私をどうすることもなく、また静かに話し始めた。 「母親の話から、ここは墓地として有名になりました。埋葬したと同時に花開く花嵐とその香りには神聖な力があるのだと、私たちに恩恵を与えてくださるのだと。そんな話で持ち切りになりました」  恩恵。母の顔がパッと浮かんで、霞んでいった。 「そして、いつの頃からか、花嵐を神格化し、人の命を捧げなければならないと言い出す過激な人々が現れ始めました」 「……生贄」  神主は私の方を見て「はい、そうです」と頷いた。 「長寿の人を捧げれば、村の人まで長生きでき、富を多く持つ人を捧げれば、村の人まで豊かになる。…………本当に馬鹿げた考え方です」  最後のひと言は小さく呟いただけだったが、いつもより語気は荒かった。  神主はそのままの調子で話し続ける。 「花嵐の神格化も生贄も皆が心から信じて行っていたのは最初の頃だけで、今では人々の不満や嫉妬の対象となった人を排除する方法として生贄が用いられています。それでいて、自分や家族が選ばれると、何をしてでも逃れようとします。今回だって、あなた以外はーー」  そこまで捲し立てるように話していた神主は、私だけが逃れられなかった悲惨さに気付いたのだろう。慌てて口を押さえて「すみません」と呟いた。  私は何も言わなかった。  それから神主はひとつ咳払いをすると、冷静さを取り戻して、また話し始めた。 「私は、儀式を執り行うのは初めてですが、経験するのは四回目になります。前神主の父に連れられて、神主見習いとして儀式に参加していました。初めて見たのは七歳のときでした」  神主はひとりでに歩き出すと、穴の前で止まり、宙を見つめた。神主には幼い頃の光景が見えているのかもしれない。 「儀式を行うとき、父は……父ではありませんでした。いつもの穏やかな雰囲気は消えて、瞳には何も写っていませんでした」  空を見上げた神主の横顔は月明かりに照らされ、瞳は大きく揺らいでいた。 「この村の人々は死を美しいものとして扱おうとします。先ほどの母親と娘の話だって、そうです。しかし、私にはそうは思えません。  まだ死にたくないと叫びながら埋められる者もいましたし、生贄に選ばれて光栄だと満足そうな顔をして埋められる者もいました。父は恐ろしい形相をして、私はボロボロと涙を溢して、全てを見ていました。私にはどれもが残酷に思えたのです。死にゆくことも死を見つめることも。  怖い思いをしながら死んだから残酷だとか、優しい顔をしながら死んだから美しいとか、そんなことはないのです。美しい死など存在しないのです。死というのは残酷です」  神主は私の方へ向き直ると、 「私には父と同じことをする勇気がありません」  はっきりとした声でそう言った。 「それじゃあ、私は生贄にはできないということですか」  私にはそれが喜ばしいことなのか、悲しいことなのか、よく分からなくなっていた。 「……神主さんだって逃げてるじゃないですか」  生贄から外された他の子供だって、自分の子供を生贄から守った親だって、花嵐様に縋る私の母だって。  皆、死の恐怖から逃れようとしている。  神主は私の顔を見てか、私の言葉を聞いてか、今にも泣き出しそうな顔をした。 「命の尊さは平等ではないのかもしれません。同じように命に関わる大怪我をした老人と子供がいたとして、どちらかしか助からないのなら、子供を助けるでしょうし、大切な人と全く知らない人だったのなら、大切な人の命を救いたいと思うでしょう。  現に私はあなたを初めて見たとき、生贄にはできないと思いました。まだお若いですし、あなただけが差し出されてしまったことを憐れに思ったからです。  あなたの言う通り、私は逃げました。そして、これも言い訳に聞こえるかもしれませんが、あなたは死を望んでいないように見えたのです。死を望んでいれば、生贄にしても良いということにはなりませんが、まだ諦めがついたかもしれません」  私は死を望んでいない?  神主の言葉がやけに引っ掛かった。  確かにここで死んでしまうことは惜しいことかもしれないが、決まってしまっていたこと、避けられないことだったのだから、仕方ない。  私は逃げ出さない。死の恐怖などとっくに消えていた。  強い風が着物の裾を揺らす。 「大丈夫です。死ぬことは怖くないし、もう覚悟もできています」  私の力強い返事とは裏腹に神主の顔はさらに歪んだ。 「あなたは命を捧げる覚悟をしたのではありません。生きることを諦めたのです」  そう言われたとき、私はハッとした。言語化できなかった自分の気持ちがはっきりと言い表されて、ようやく自分の本当の気持ちに気付けた気がした。  母からは本当の愛情を注いでもらえなかった。進んで私を生贄に差し出した母は私を殺したも同然だ。  神主から聞いた話の母親と娘のようにはなれなかった。  考えたって、望んだって、手に入らないものだからと母からの本当の愛を諦めた。世界がどうでもよくなって、生きることを諦めた。  死への恐怖を生への諦念でまかなった。 「命の尊さは人それぞれでも、生きることの尊さは平等です。この世に生まれ、この世に生きている、この瞬間は万人平等に尊く、儚いのだと思うのです」  神主は私の目をしっかりと見て、 「だから、どうか生きることを諦めないでください」  胸にスッと入り込んだその言葉は私の中で反響した。 「……はい」  何よりも力強く返事をした。  山の頂上からは村の灯りがよく見える。  私は自分の家を探しつつ、 「もう村には戻れませんよね」 「はい、戻れません。だからーー」  トンッ。背中に小さな衝撃を感じて、私は一歩前に出る。  よく見れば、鳥居の下を通り抜けていた。 「そこからこの山を降りていけば、違う村に出られます。そこで暮らしてもいいですし、もっと山を越えていけば、大きな街に出ることもできるでしょう」  そう言って、神主はさっき上ってきた階段とは反対にある階段ーー私の目の前に広がる階段を指差した。  神主は今まで見た中でいちばん穏やかな顔をしていた。  別れのときだと直感した。そして、もう二度と会えないだろうということも悟ってしまった。 「一緒に行きましょう」  気付くと、私はそう呟いていた。神主には聞こえたかどうかも分からない小さな声だったが、神主は少し俯くと、 「……酷なことですが、あなたは一人で生きていかなければなりません。私があなたと一緒に行ってしまえば、怪しまれるでしょう?」  神主はそのまま懐から何かを取り出すと、私に手渡した。 「これは花嵐の苗です。近くに人を埋めないと、蕾は開きませんが、私の代わりだとでも思って持っていってください」  私は白い紙に包まれた花嵐の苗を優しく抱き抱えながら、階段を下っていった。  何度も何度も振り返って、元いた場所を見上げたが、神主は直立したまま、その場を微動だにしなかった。  それからすぐに、私は山の麓の老夫婦に引き取られた。  街には行かず、山を離れなかったのは、神主を待ちたかったからだ。本当の気持ちに気付かせてくれた神主となら一緒に生きたいと思えたからだ。 『一緒に生きましょう』 『あなたは一人で生きていかなければなりません』  私に死や生について教えた神主だったが、結局、語るだけで行動には移さなかった。  生贄として私を捧げられなかった神主。自分の好きなようには生きられないと悟っていた神主。  生きることを諦めていたのは、神主も同じなのではないか。一人で生きていくしかないと諦めたのは、神主の方ではないのか。  私はそうやって神主のことを考えながら、花嵐の世話をする。  もらった花嵐の苗は庭に埋めていた。神主が言っていたように、蕾は固く閉じたままだったが、しばらくすると、変化が現れた。  花が開き始めたのだ。  全て開き終わったとき、その花びらの色は白だった。  純白の白だった。  そのとき、神主の言葉が頭をよぎった。 『花の色はまちまちですが、赤系統が多いです』  白色の花嵐など今まではなかったはずだ。今までとの違い、それは、近くに人を埋めていないということだけだった。  近くに人を埋めなくても、普通の植物の成長速度で立派に育つ。そして、これが本来の花嵐の色。だとするならば、今までの色はどこから……?  そこまで想像して、私は身の毛がよだつのを感じた。  村の人々が崇めていたのは、人の血を吸って赤く染まった花嵐だった。人の死だった。  生贄は清い贈り物でも何でもなかった。それどころか、あの山が墓地として有名になった頃から、いや、あの母親と娘の話の頃から、残酷な死はそこにあったのだ。 「死を美しいものとして扱ってはいけない」  私は自分に言い聞かせるように呟く。  白色の花嵐の香りは村で嗅いだときとは比べ物にならないほどの強さで、めまいを起こすほどの芳しさだった。  ーーあの村でもう二度と生贄が選ばれることがありませんように。あの人がもう一度、生きることに希望を持てますように。  私は願わずにはいられなかった。死の残酷さを、生きることの尊さを考えずにはいられなかった。  今日も風は吹く。花嵐の香りをこの世に広げるように。
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