失くしたものは

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 冬の終わり、寒さが和らぐにつれて、その樹のつぼみは膨らんでゆく。やがていっせいに咲く薄紅色のその花は、春の訪れをはなやかに彩る。  しかしひとたび散ってしまえば、季節が終わってしまえば、人々はその樹のことなど気にも留めない。多くの人にとってのそれは、花であって樹ではない。  街の中心に建つ時計塔の窓辺、管理人代理の少女は街を見下ろす。街のはずれの丘の一角には、薄紅色の花の樹々が並んでいる。花の季節はとうに過ぎて、間もなく冬を迎える。 ――なにか気を引くものがありましたか?  背後の、別の窓から声がかかる。窓には大きなフクロウがとまっている。 「ううん、特になにも。久しぶりね」 ――お久しぶりです。いかがです、管理人の仕事には慣れましたか? 「おかげさまで。あまりやることもないし。師匠は元気?」 ――ええ。……先日も調合に失敗して爆発させていました。園芸用の農薬を試作していただけのはずなのですが。  魔法使いの使い魔である彼からは、表情こそ変わらないものの呆れかえっている様子が伝わってくる。 「師匠らしいね」 ――困ったものです。  それだけ言い、黙って少女の様子をうかがう。 「どうしたの?」 ――いえ。マスターに様子を見てこいと言われたのですが、元気そうで安心しました。魔力を失ってからのあなたは、見ていられないほどでしたから。心配しているのです、マスターも、もちろんわたしも。 「……うん。ありがとう」  本当は元気そうにはとても見えないが、以前に比べれば格段に落ち着いている。使い魔のフクロウは目を細め、彼女を見つめる。よい方に向かっているのだ。あれ以来、一度も笑顔を見ていないとしても。   ■  師匠の使い魔が去ったあと、階段の方から足音が聞こえてくる。 「どうだ、問題はないか?」  本来の管理人の息子である、幼なじみの少年が顔を出す。 「大丈夫、なにもないよ」 「そうか。これ、リンゴ持ってきた」  そう言って手に持っていた袋をテーブルに置き、ひとつ取り出して噛りつく。 「なにかおもしろいものでも見えるか?」 「ううん、特には」  さっきも同じことを聞かれたなと思いつつ答える。 「そうか」  窓の前、少年はリンゴを片手に、少女の隣に並ぶ。窓からは、冬の気配を纏った風が吹き込んでくる。 「寒くなってきたな」 「そうね」 「風邪ひくなよ」 「大丈夫。平気」  そうしてふたり並んで、風の吹く街を眺める。  幼いころ、ふたりはこの時計塔を遊び場にしていた。本来、ここに管理人が常駐している必要はない。これまでは日に一度、少年が父親に代わって点検に訪れるだけだった。それでも彼女に管理人としてここにいることを勧めたのは、彼女がこの窓からの風と景色を気に入っていたためだった。あの頃の彼女は、開け放った窓からの風を全身で浴び、嬉しそうにしていた。 「ねえ」 「ん?」 「あれ、なにしてるんだろう」  少女が指さす先に目をやる。丘の上、葉の落ちた樹々の間に人影がひとつ。誰がなにをしているのか、ここからでは判然としないが、少年には心当たりがあった。 「たぶん庭師のじいさまだな。あれの手入れはあのじいさまがほとんどひとりでやってるんだ。この時期は剪定だったかな」 「……知らなかった」 「花が散ったあとのことは、みんなあんまり興味がないからな。俺も、何度か手伝ったことがあるから知ってるだけだ」  少し考えれば分かることだったが、考えたこともなかった。整然と並ぶ樹々は、人の手によって植えられたものだ。ならば、手入れをしている人がいるのは当たり前のことだ。 「気になるなら行ってみたらどうだ?」  少女は少し考え、そうね、とうなずいた。  魔力を失い帰ってきた彼女は、まるで別人のようだった。以前の明るさと自信をも失い、何事にも興味を示さなくなっていた。だから、こうしてなにかに興味を持ったことは、よい兆しだ。  魔法の才を持つ者はそれだけで特別だ。彼女はそれを拠り所としていた節がある。それを失ったことは、生きる意味すら失ったように感じているのだろう。  時計塔の窓から街を見下ろす。 「そんなことないんだけどな」  街の中、丘へ向かう少女の後ろ姿を目で追って、少年はひとり呟く。   ■ 「おぉ、嬢ちゃん。ちょっと見ないうちに大きくなったな。どうしたね?」  樹々の間、樹の様子を見て回っていた庭師が少女に気がつき、声をかけた。 「お久しぶりです。いえ、時計塔から見えたので、なにをしているのかなと思って」 「おぉ、そうかそうか。なに、枝を打とうと思ってたんだが、風が出てきたからな、もう引き上げるところだ」 「そうでしたか。残念です」 「興味があるかい。嬢ちゃんのお師匠さんは、草木の扱いがうまいものな。嬢ちゃんもそうだろう?」 「師匠のこと、知ってるんですか?」 「おぉ、知っとるよ。この薬もお師匠さんが作ったもんだよ。あのフクロウが届けてくれてな。次はもう少し扱いやすくなるように改良中だそうだ」  そう言って、傍に置いていた瓶を持ち上げてみせる。中身はわからないが、瓶には少女もよく知る文様が刻まれている。この文様によって、瓶に魔力を封じている。つまりこの薬には、なんらかの魔法が込められている。 「これは?」 「枯れにくくする薬だな。枝を打つと枯れやすくなるんでな」  ならば切らなければよいのでは、と思うかもしれないが、そう簡単な話ではない。 「放っておいてもうまく咲かない。だが枝を打つにも、うまくやらんとそこから枯れちまう。難しいがな、次の春にもまた、きれいに咲いてほしいからな」  少女は少し考え、 「手をかけるのは花のため、ですか?」  庭師は少し笑い、 「そうだな、この花を楽しみにしてくれる人がいるからな。だがまあ、咲かなくなったとしても、放ってはおけないさ。これは俺のじいさんが植えたものでな。俺にとっては大事なものだからな」  そう言って、傍らの樹を愛おしそうに見上げた。   ■  少女が時計塔に戻ると、少年と、帰ったはずの師匠の使い魔が迎えてくれた。 「おう、おかえり」 ――おかえりなさいませ。 「あれ、どうしたの?」 ――いえ、一度帰ったのですが、伝えることができまして。もう一度行ってこいと。 「そうなんだ。おつかれさま」 ――使い魔使いが荒くて困ります。 「使い魔使い……。それで、話って?」 ――はい。マスターより伝言です。魔力を取り戻す方法をいくつか思いついたので戻ってこないか、とのことです。 「え……」 ――ただ、あまり期待しないように、とも言っておりましたが。 「……」 「どうした?」  フクロウの言葉に迷いを見せる少女に、少年が声をかける。 「ううん。……うまくいかなかったら、またがっかりすることになると思って」 「ずいぶん後ろ向きだな。らしくない」 「……」  少年の言葉に、少女は暗い目を向ける。その非難がましい眼差しを真っ向から受け止めて、少年は思う。……あんたになにがわかる、とでも思っているのだろう。らしくないとは思う。が、その気持ちもわからないではない。もう一度傷付くことが怖いのだ。  とはいえ、このまま鬱々としているよりはよほどいい、とも思う。どう言えばいいのだろう。  重い沈黙が降りる。  それまで黙ってふたりの様子をうかがっていたフクロウが口を開く。 ――このところ、マスターは2つのことについて研究しています。ひとつはあなたの魔力を取り戻す方法、もうひとつは、魔力を持たない者でも魔法を扱う方法です。マスターは諦めていません。一方で、魔力が戻らなかったときのことも考えています。戻るとしても、時間がかかるかもしれません。また、完全に取り戻せるとは限りません。……いずれにせよ、あなたには以前のように笑っていてほしいと思っているのです。  ハッとしたように顔を上げる少女に、少年は言う。 「行ってくればいいんじゃないか。うまくいけばもうけもんだ」  彼女のために、できることは多くない。うまくいかなかったとき、傷付くことは避けられない。それはどうしてやることもできない。できることは、ためらう彼女の背中を押すこと。 「もしうまくいかなくても、またここに戻ってくればいい。先のことは、ここでゆっくり決めればいい」  立ち上がるために手を貸すこと。 「……そっか」  少年の言葉に意を決した少女はフクロウに向き直って、 「……爆発はしない?」 ――……。  フクロウは無言で目をそらす。 「しないって言ってよ」 ――噓はつけない質なので。  それを聞いて少女は、くすりと小さく笑った。   ■ 「ねえ」 「ん?」  飛び立ったフクロウの後姿を見送って、少女は問う。 「どうしてここの管理人を勧めてくれたの?」 「どうしてって、ほっとけないだろ、そりゃ。それに、お前ここ好きだしな」 「そっか」 「どうした、急に」 「……魔法、また使えるようになるかな」 「さあな。でも、魔法なんか使えなくても、なんだってできるんじゃないか。お前は器用だから」 「そうかな」 「ああ。さっきも言ったとおり、うまくいかなかったら、またここに戻ってこい」 「うん。……ありがと」  もう二度と、魔法は使えないかもしれない。それでも、わたしを見ていてくれる人たちがいる。きっとわたしは、なにも失くしてはいないのだ。  次の春に、また花は咲く。いつかあの花のように、わたしも咲くことができるだろうか。
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