想起の種

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 花の成長は早いもので、拓也の顔付きが中学生当時になった。  勝手に鉢から出て、根を上手に使い、歩くことだってできるようになった。食事は水がいいそうだ。人間でいう食道はないので、以前、手作りのロールキャベツをあげたが、すぐに吐き出してしまった。植物全般に言えるように、拓也も、根から水を吸い上げて食事を取っている。  最近の楽しみは、リビングのテーブルを脇に動かして、拓也とキャッチボールをすることだ。拓也の返すボールが強くて、たまに手からすり抜けてしまい、背後の食器に当たって割ってしまうこともあった。拓也は謝ったが、別に叱ることはしなかった。以前と形は違うが、息子と再びキャッチボールができて幸せだったからだ。  それにしても、拓也は野球の才能がある。私がボールを投げると、片方の葉で受け止め、その勢いがついたまま、もう片方の葉で弾いて返すのだ。  この拓也の姿に、世間が納得するのは難しいかもしれない。だが、どうにか拓也の将来の花を咲かせてあげたいと思った。  そんな充実した日々はあっという間に過ぎていき、拓也の顔付きが高校生当時になった。その頃から、拓也は和彦に向かって、不満げに悪態をつくようになった。 「ったく……。拓也、拓也って、気持ち悪りぃんだよッ!」 「ご、ごめんな拓也。もう言わないから……」 「だから、また言ってんじゃん!」 「……拓也。これ以上、家の中を汚すのを止めてくれないか……」  深夜になると、何かうっぷんを晴らしたいことでもあるのだろうか、拓也はひどく大声を出して、部屋中に泥を撒き散らすようになったのだ。そのおかげで寝不足になるし、泥の強烈な臭いで、朝から気分が悪くなってしまう。 「オヤジ。俺のことが大好きなんだろ? それぐらい我慢しろよ。あ、喉渇いた。水もってきて」  拓也の目は鋭く、怖かった。  以前はあんな目つき、私にしなかったのに。  和彦は、しぶしぶ首を縦にふり、キッチンへと向かう。その足取りは重かった。  じょうろに溜まっていく水を見ながら、ぼんやりと考えた。  育て方をどう間違えたのだろうか……。  どんな接し方をすればよかったのだろうか……。  どうすれば、以前のような関係に戻れるのだろうか……。  水がじょうろから溢れ出す。慌てて蛇口をひねった。  じょうろに溜まった水に、和彦の顔がゆらゆらと写っていた。そういえば五年前、拓也が生きていた当時も、同じことで悩んでいたかもしれない。  水をこぼさないようにゆっくりと、拓也のいる寝室へと向かった。 「オヤジッ! おせぇよッ!」 「ご、ごめんな。拓也……」  じょうろの先端を鉢に近づける。  水をあげている間も、拓也の尖った目は、和彦をじっと見つめていた。だんだんと和彦の手が震え出し、じょうろの先端が鉢から出てしまい、こぼれてしまった。 「オイッオヤジ! 何やってんだッ!」  他にも拓也の口からいろいろと発していたようだが、和彦の耳には届かなかった。頭に血がのぼってしまい、それどころではない。視界は白黒になり、何も聞こえなくなった。 「聞いてんのかッ! オヤジッ!」  和彦はじょうろを投げ捨てると、両手で力いっぱいに茎を絞めた。かすれるような小声で和彦を呼び続けながら、次第に黒目が上を向き始める。  だんだんと視界が元に戻っていき、拓也のかすれる声も耳に入ってきた。手の感触に違和感を覚えて視線がいく。その瞬間、焦って両手を離した。  何てことをしてしまったんだ。拓也の首を絞めてしまった。 「……ゴホッ……。オヤジ……やるじゃねぇか……ゴホッ……」  拓也は、口から出てしまったよだれを葉で拭いている。 「た、拓也、すまん。許してくれ!」  和彦は、その場で床に膝をつき、頭を下げた。  その夜、和彦の喉には、水一滴も通らなかった。  テーブルにうなだれて、声を詰まらせて泣いていた。  二階から拓也の呼ぶ声が聞こえた。  ティッシュで鼻をかんだあと、階段をのぼって寝室を開けた。 「オヤジ、来てくれないか……?」  どうしたのだろうと、和彦はゆっくり近寄る。  拓也の目のあたりが腫れぼったくなっていた。もしかしたら、泣いていたのかもしれない。 「オヤジ……、ごめん……。俺のこと許してくれ……」 「拓也……」 「オヤジ、昔みたいに、俺のほっぺにキスしてくれないか」  拓也は、涙をこぼしながら訴えかけた。  もちろん断る理由はない。  和彦も同じように目元を濡らしながら、照れているように視線を逸らす拓也の頬に向かって、顔を近づけたときだった。  ぶわっと和彦の顔にかかった。  その途端、息苦しくなり、目も開けられなくなる。  呼吸ができない……。  そのまま床に倒れ込んだ。ぼやける視界に、葉で腹を抱えて笑う拓也の姿があった。 「俺の花粉はどうだ? 気持ちいいか? お前に殺される前に、俺が殺してやるよッ!」  周期的に和彦の体が引きつる。  痙攣を起こしながらも、拓也の言葉をしっかりと聞いていた。  拓也はどうしてこうなってしまったのだろう。私の育て方は、何が間違っていたのだろう。  視界がだんだんと暗くなっていき、大笑いする拓也の声も小さくなっていった。  眩しい……。  うっすらと瞼を開ける。日の光が出窓から差し込んでいた。  重たい体を床から起こした。  深呼吸をして両手で目をこする。どうやら死んでなかったようだ。  拓也の鉢を見上げると、鉢だけ残して、当本人の姿はない。  まだ頭がぼんやりとしている。  鳥のさえずりが聞こえる中、一階で笑い声がしていた。  だんだんとあの時の記憶が脳裏に沸き起こってきた。  あの日も拓也に殺されかけた。  バットで部屋中をぐちゃぐちゃにされて、注意した私に向かって数発殴りかかったのだ。  あの時も、育て方をどう間違ったのか、血だらけになった顔を鏡で見つつ、タオルで拭きながら自問自答した。    拓也にばれないように、忍び足で玄関に向かった。  大音量でテレビを見ているようで、まったく気がついていない。  そのまま裏庭の物置に行き、棚に置いた液状タイプの除草剤を手に取った。これからやろうとしていることに、胸が苦しくなるが、もう決めたことなのだ。  再び戻ると、既に拓也はリビングにいなかった。 「オヤジッ! 水だ! 水ッ!」 「今、持っていく」  和彦は、駆け足で洗面所に行き、じょうろに除草剤をたっぷりと入れた。少し白く濁っているが、バレないはずだ。 「今、行くよ」  これからしようとしていることに、胸が詰まりそうだ。  寝室を開けると、拓也がにやついていた。 「なんだ。生きてんじゃん」  和彦は特に答えることなく、出窓まで歩いていき、じょうろの先端を拓也のいる土に向けた。 「なあ、オヤジ。あの日のようだな……」  じょうろを傾けると、白く濁った水が流れ落ちていく。  土に染み込んでいく感覚が、自身の罪を洗い流しているように感じた。 「オヤジ……。なんか濁ってない?」 「これは肥料だ」 「そっか。さんきゅ、オヤジ」  拓也の悲鳴が聞こえるまで、それほど時間はかからなかった。  天井から重く唸るような、苦しむような声がして、そこに鉢の割れる音もした。  一階で椅子に座ってテレビを見ていた和彦は、わざと音量を上げていく。 「オ……オヤジ……、ミズに……何を入れたんだァ……。ゴヘッゴヘッ……」  背後から苦しむ拓也の声がする。  テレビの笑い声が部屋中に響いていた。 「オヤジィ……助けて……助けて……助け……テェェ…………グフッ!」  何かを吐き出すような音が聞こえ、その後、背後から何も聞こえなくなった。  和彦は目を閉じて、余韻にひたっていた。涙が頬を伝わり口元に入っていく。舌を引っこ抜きたいぐらい、しょっぱい味がした。  番組が終わると、和彦はテレビを止めた。  ゆっくりと腰を上げて振り返る。  そこには、ひまわりの花が横になっていた。  ティッシュで、自身の濡れた目を拭くと、優しくひまわりを抱きかかえ、裏庭の畑に向かう。そこで、ひまわりが埋められるぐらいの穴を掘った。  拓也を埋めるのは、これで二回目だ。  ズボンのポケットから、「想起の種」が入ったビニール袋を取り出す。  次こそ、失敗しない。  和彦は、「想起の種」を一粒つまむと、ひまわりを埋めたその隣に、拓也の名を呼びながら、再び土に押し込んだ。
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