想起の種

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想起の種

 玄関のチャイムが鳴る。  サンダルを突っかけて和彦が出ると、小さな段ボールを片手で持った、宅配便の男が立っていた。和彦の顔を見るなり、渋い表情をしながら後ろへと一歩下がる。  和彦はうつむきかげんに頷いた。  そういえば、最後にひげを剃った日はいつだっただろうか。それに、目下のところ風呂にも入っていない。  伸びきったひげと髪が渦を巻いてしまい、目の前の相手に不快感を与えてしまったようだ。  上目で見上げると、胃薬のビンが数個しか入らなそうな小型の段ボールである。私宛の荷物らしいが、ここ最近、インターネットで買い物をしていない。  その男に発送元を聞いてみるが、わからないと素っ気無く返されてしまった。  足もとに視線を向けたまま、和彦が弱々しく近づくと、その男は手のひらに載せていた段ボールを、胸から腹のあたりに下ろした。  おかげで視線の先に伝票が見える。宛名にはしっかりと私自身の住所を記載しているくせに、発送元は空だった。  和彦は、受け取るべきかどうか悩みながら固まってしまう。 「で、どうします? 受け取りたくないのなら、持って帰りますけどッ」  また上目で見上げると、その男の眉毛はつり上がっていた。 「あ……あぁ、受け取ります……」  トラのような気迫に圧倒されて受け取ってしまった。  その男から渡されたペンでサインをすると、一言礼を述べてそそっかしく行ってしまった。  見送ると、とりあえず、そのちんまりとした段ボールをリビングまで持っていく。絨毯に投げ捨てて、自身もあぐらを組んで座った。真っ直ぐに封がされたガムテープを、爪でひっかけて剥がしていく。ガムテープと紙が擦れ合う音を聞きながら、時限爆弾とかそういう類の物が入っていたらと、ふと思ったが、結局最後まで剥がしてしまったので後の祭りである。  ガムテープ丸めて脇に置くと、これからやるぞと両手をこすり合わせた。おそるおそるゆっくり開けていくと、あっけなくて、はてなと思った。  そこには小物入れ用のビニール袋と、三つ折りにされた白い紙が入っていた。  三つ折りの用紙を手に取って開けてみる。 『ご当選おめでとうございます! 今話題の「想起の種」をプレゼントします。あなた様には、どんなお花が咲くでしょうか。ぜひ、楽しんでくださいね。――お知らせ――この花は環境に依存しますので、どんな色や形で、そしてどれくらいの大きさになるのか私達もわかりません。話しかけたりなど、あなた様の愛情いっぱいで育ててあげてくださいね』  ご当選……?   和彦は顎に手を当てながら顔を上げた。  そんな抽選に応募した記憶はない。  紙を段ボールの中に戻すと、次はビニール袋を取り上げた。  ひまわりの種のようなものが四粒入っている。なんだか気持ち悪くなってきて段ボールの中へと投げた。  そのビニール袋を触ってしまった親指と人差し指をこすりながら、早く捨ててしまおうと立ち上がる。だが、なんだかその前に、「想起の種」を調べてみようと、パソコンのある書斎へ向かった。  インターネット上に、芸能人や一般人が、花の咲いた植木鉢を持ちながら、一緒に写っている写真が数多くあった。それは花の色や形、大きさが異なっていて、中には全然顔見知りでない男女が似ている花を咲かしたという理由だけで結婚、という目を疑うような見出しも発見した。  こんなにも有名な種だとは思わなかった。  ただ不思議なことに、それだけ有名にもかかわらず、その種を製造している会社名については、いくら検索しても出てこなかった。  和彦は裏庭の畑の前に立っていた。  雑草が風にのって幸せそうに揺れている。数年ほったらかしてしまい、雑草で土壌が見えなくなってしまった。  まあ畑と言っても、小さな一角で、ナスのような手軽に栽培できる野菜を、一人息子の健康のために育てていただけなのだが。  かがんで、園芸用のスコップで力強く掘っていく。  結局、興味本位で種を植えることにした。  気味が悪かったが、あれだけ有名なものをタダでもらえたのだ。捨てるのはもったいない。  それに……、何の花を咲かすかわからないという謎に、ロマンを感じたのだ。あの日以来、私は生きていても何の楽しみもなくなった。だから、無味乾燥な生活に刺激的な花を咲かせたいのだ。  和彦は、ビニール袋から一粒取り出すと、掘った穴に落とし、その上から土を被せてじょうろで水をやった。濡れた土の上を、手のひらで優しくなでている。 「拓也、早く出てきておくれ。なあ、拓也……」  その花の名前を拓也にした。  何度も呼びかけていると、視界が潤んでぼやけてきた。  一人息子の拓也が死んでから、もう五年が経つ。あれは、高校二年の夏だった。  拓也は運動神経がよくて、野球が大好きだった。ひょっとしたら、将来はプロ野球選手になっていたのかもしれない。  拓也が産まれてすぐに、妻と離婚して、私が引き取り世話をすることになったのだが、母がいない寂しさを少しでも忘れさせようと、必死に大事に育ててきた。  だが、拓也が死んだあの日、私の生きる目的が砕けちった。それ以来、仕事を辞めて拓也のために貯金していた金を使い、今は堕落した生活を送っている。  気がつけば一時間ぐらい同じことをしていたようだ。少し馬鹿らしく感じて深く息を吐く。そろそろ日が暮れそうだ。  和彦は立ち上がると、夕日に背を向けて、自宅に戻っていった。  数日後、和彦が様子を見にいくと、植えたところから新芽が顔を出していた。薄い緑色の葉が二枚。ういういしく、元気そうだった。  そのまま自宅に戻ろうとしたが、途中で足を止める。  息子の名前をつけると、どうも置いていくことに気が引けてくる。それに、外だと虫にやられてしまうかもしれない。  和彦は倉庫から素焼き鉢を取ってくると、スコップを使ってその鉢に植え替えた。そのまま寝室に持っていき、日のあたりのよい出窓に置いた。  なんだか葉が揺れているように感じた。    人の頭ほどの大きなつぼみができるまで、日数はかからなかった。  和彦は、ベッドの上で胡座を組んで、インスタントのラーメンをすすりながら、その大きなつぼみに、不思議な眼差しを向けていた。  どんな花が咲くのだろうか。  考えれば考えるほど、麺がスルスルと食道へ入っていく。スープを飲み干してから床に両足を下ろした。立ち上がって割り箸をつぼみに近づける。付け根から先端に向かって優しくなでていった。  十回繰り返すと、和彦はにやついた。  つぼみの頭に、ネギの破片が載っていたのだ。  どうやら割り箸に付いていたらしい。 「拓也……ごめんな……」  割り箸でつまむと、そのまま自身の口に入れた。 「パパ……あれ乗ろうよ」 「いいよ」  また同じ夢を見ているようだ。  拓也と手をつないで歩いている。そこは先が見えないほどの白く濃い霧がかかった世界で、拓也が私を引っ張るが、一向に乗りたいという乗り物に辿り着けない。それに視線の先には、小学生の頃の拓也の声はするが、首から上が消えてしまって、本当に拓也なのかわからなかった。  だが、今回の夢は違っていた。  拓也が乗りたいという乗り物の入場口に辿り着いたのだ。 「拓也、観覧車に乗りたかったのか?」  大きな大きな観覧車のようだ。霧が立ちこめていて、見づらかったが、ある程度の大きさはわかった。 「パパ、止まってないで、早く、行こう!」  拓也が和彦の手を何度も引っ張っていた。  顔を上げると、そこには拓也の顔があったのだ。  拓也の表情が目に見えて、うれしくて足がなかなか前に出ない。 「ごめんごめん、うん行こう」  視界がぼやけてしまうぐらい、和彦は涙をこぼしていた。  入場口では、自分達以外に客はおらず、係員もいなかった。  ただ、そこには待っているかのように、観覧車のドアがぽっかりと開いていた。拓也に連れられて、何も考えずに乗り込む。すると、急に重い音を立てながらドアが閉まり、ゆっくりと動き出した。  なんだか不気味だったが、反対側の席に両膝を乗せてはしゃぐ拓也の後ろ姿を見ていると、ほっと息をついた。 「拓也、何か見えるのか?」 「うん、見えるよ。ほら、あそこ、僕の家だよ!」  拓也が指をさしているが、どう考えても霧で見えない。  僕の家って、ここは地理的にどこなんだろうか。  自身の夢の設定がよく理解できなかったが、苦笑いをしつつ、席に腰かけたまま窓の外に視線を向けた。 「おい、拓也。何も見えないぞー」 「……」  まったく返事が返ってこない。 「拓也……?」  視線を戻したときだった。  さっきまで座っていた拓也がいないのだ。 「え、拓也? 拓也!」  和彦は立ち上がってうろたえた。  観覧車のドアもロックがかかっていて開かない。窓だって、私の腕が通るぐらいの隙間しかないのだ。  理由のわからず、恐怖から、顔がこわばり始めた。 「パパ……助けて……」 「拓也?」  拓也がいた側の窓の外から声がした。  和彦は飛びつくと、顔を窓にくっつけた。 「拓也――ッ!」  拓也は、観覧車外側の骨組みに、両手でしがみついていたのである。 「な、何やってるんだッ!」 「パパ……助けて……」 「待ってろ、今助けるからな」  とは言いつつ、数歩下がるが、何をしたらいいのかわからなかった。  今、どのくらいの高さまで上昇しているのだろうか。下にいる係員を探そうとしたが、霧でまったく見えなかった。  和彦はひじを窓に向けた。もう叩き割るしかない。  勢いをつけて何度も打ち付ける。  だが、何度も繰り返すがびくともせず、自身の腕の感覚が徐々になくなってきた。 「パパ……もうダメ……」 「うぅおぉ、拓也ぁ!」  べったりと窓に顔をつけて覗き込む。  拓也は無表情のまま、するりと両手が抜けて落下していった。  夢とは不思議なもので、拓也の落下するスピードはスローモーションのようだった。ゆっくりとゆっくりと落ちていく。  和彦は自身の頭を窓に打ち付け、がっくりとその場に崩れ落ちた。夢の中とはいえ、助けられなかったのだ。悔しくて、足元を何度も叩いた。  すると、拓也の声がふと聞こえてきたのだ。  和彦は震える足で立ち上がる。おそるおそる窓を覗き込んだとき、目を丸くした。  拓也が先ほどのように、両手で骨組みにしがみついていたのである。 「パパァ――ッ! 次は僕を殺さないでねェ――ッ!」  和彦は叫び声をあげながら両目を開けた。  見慣れた天井に安堵したが、心臓の鼓動はまだ強く鳴っていた。  夢から覚めて、一杯水を飲もうと布団から出る。呼吸をするのが辛くて、右手で胸元をさすっていた。 「パパ……パパ……」  出窓の方から聞き覚えのある声がした。  その声にどきりとして手を震わせ寒気がしてきた。  ここは夢の中ではないはずだ。そう言い聞かせておそるおそる振り返る。  出窓に置いたあの花が、月夜に照らされて大きな塊に見えたが、影ってしまってよくわからない。  和彦は視線を逸らさずに、壁を伝ってスイッチを入れた。自身の呼吸があらく、首元から汗が流れていくのがわかる。  照明がつくと、視界がはっきりした。その途端、和彦は声が出ず、唾を力強く飲み込んだ。  出窓に置いたあの花のつぼみが開き、そこには拓也の顔があったのだ。 「パパ……大丈夫?」  頭を左右に揺らしている。  何が起きているのか理解ができず、尻を床に落とした。視線を向けたまま後ろへ下がる。だが、そのまま壁まで下がると、それ以上体を動かせなかった。 「パパ……僕だよ。拓也だよ」 「う、嘘だ。た、拓也は死んだんだ」 「パパの子守歌、また聞きたいなぁ」  拓也は口ずさむ。  和彦はすぐわかった。幼い頃に歌ってあげた子守歌だった。  涙が頬を伝っていく。  両手を使って立ち上がり出窓に近寄っていった。うるさく聞こえていた時計の針の音も、まったく聞こえてこなかった。 「ほ、本当に拓也なんだな……」 「うん」  和彦は、茎が折れない程度に両手で抱きしめた。
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