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「意外と短気なんですね。指紋、バッチリじゃないですか。」
「なっ!お前がやったんだろ!」
「私もそれで殴りますか?あっちの部屋に居る、マリアみたいに」
慌てて両開きの扉を開けたが誰も居らず別の扉も開けるが誰も居ない。
「マリアの移動、忘れてました。浴室で冷やしてあるんです」
そう言って開かれたドア越しに見えた浴槽には氷漬けにされ無惨な姿で息絶えているマリアらしき女が居た。
「これで死亡推定時刻が変わるらしいですよ。よっこいしょ、っと」
用意周到というべきかマリアらしき女はビニール袋に詰められた大量の氷に囲まれていただけで濡れておらず寝室へ運び終えた高瀬が氷を熱湯で溶かし綺麗に水気を拭き取る間もずっと立ち尽くしていた。
呆然としていたとはいえ女であるはずの高瀬が顔色ひとつ変えずにマリアを抱えて運んでいた不自然さに俺は気付けなかった。
「では、私はこれで。暫くしたら警察に通報します」
気付けば湯呑みも片付けシンクまで拭き取られており高瀬の計画は完璧だった。
「何故、俺なんだ?」
「今更ですね、誰でも良かったんです。身代わりなんて」
押し黙る俺に追い打ちをかけるように高瀬は口を開く。
「ちなみに私、あの会社に居ませんよ。田中さんの悪戯です」
珍しく歓迎会で酔った俺をからかってやろうと酒の勢いで田中は通りすがりの高瀬に声をかけ身代わりに出来るかもと企んだ彼女は承諾した。
社内で見た髪の長い社員は別人で高瀬いわく酔っ払いの話に乗っただけで律儀に翌日、俺の前に現れるとは田中も思っていなかっただろうと。
そしてこのアパートがマリアの家だと聞かされた俺の指紋は既にあちこちについており高瀬が通報すれば言い逃れは出来ない。
「アンタ、まだ気付かないの?嘘つきは俺だよ。じゃあね、お兄さん」
高瀬が立ち去って焦る気にもなれず警察の世話になるのかと他人事のように考えていた俺が去り際の言葉の違和感に気付いた時には遠くにパトカーのサイレンが聞こえてくる頃だった。
──高瀬と俺を襲った男が同一人物だったとはな。
アイツの話が全て嘘なのかは今となってはわからないがどうでもいい。
思い返せば身代わりを見つける為にアイツは女装と化粧で別人に成りすましていたのだろうが見た目や声色では全く気付けなかった。
寝室で死んでいる女がマリアという名かも何故あんな酷い目に遭ったのかも何もかもわからないが俺が捕まる事だけは間違いないだろう。
──惨めな男だな、俺は。
握りしめたままだったハンマーを投げ捨て俺は玄関を飛び出した。
ー完ー
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