嘘と祈り、或いは煩悩

6/12

6人が本棚に入れています
本棚に追加
/12ページ
「私とその人は、二年くらい前にお付き合いを始めました。私もその人もラーメンが大好きで、それが切掛でお知り合いになったんです。知り合ってから、そしてお付き合いを始めてからも、一緒に色んなラーメン屋さんを巡っていました。休みの日に三、四軒行くことは当たり前でしたし、ラーメンを食べるために色んな場所に一緒に旅行にも出掛けました。北海道だったり、九州だったり、或いは北陸地方だったり。一緒に観光をしながら、土地それぞれの特徴あるラーメンを頂くことって、とっても楽しかったです。」 「でも、新型コロナが流行し始めてから、お店にラーメンを食べに出掛ける頻度って随分と減ってしまいました。やっぱり、怖いじゃないですか。ラーメン屋さんって狭いお店も多いし、お店がどんなに感染防止対策に気を遣っても、お喋りを止められないお客さんも残念ながら一定の割合で居るわけですし。」 「でも、やっぱりラーメンを食べたい訳ですよ。だからどうしていたかって言うと、持ち帰り、或いは通販のラーメンを利用するようになりました。新型コロナが流行し始めることで客足の減ったラーメン屋さんの中には、家で少し手を加えるだけで食べることの出来る持ち帰りのラーメンを販売したり、あるいはラーメン専門の通販サイトで冷凍ラーメンを販売したりするところが出てきました。それらを買って来たり、或いは通販で注文することで、お店で頂くのと然程変わらない、美味しいラーメンを家で頂くことが出来るようになりました。勿論、物足りなさはありましたよ。私も、その人にとっても、ラーメンに係る楽しみって、単にその一杯を頂くだけじゃなくて、そのお店に辿り着くまでの道のりだったり、そのお店の佇まいだったり、あるいはご店主さんや店員さん達の雰囲気だったり。そういったものも含めた総合的なものだった訳ですから、ラーメンの楽しみって。」 「一方、家でラーメンを食べるようになって、その人との間柄は、より一層深まりましたね。やっぱり、お店で頂く時よりも落ち着いて自分のペースで味わうことが出来ますし、食べながらあれこれ感想を語り合うことだって気兼ねなく出来る訳です。お互いが異なるラーメンを食べていても、それを交換して味わうことも気軽に出来たりしますし。そんなこんなで新型コロナの流行が一応は落ち着きを見せつつあった去年の八月頃に、いずれ結婚しようねと約束を交わしました。その時はすごく嬉しかったですね。」 「でも、秋になり、そして季節が冬に向かい始める頃から、段々と気持ちにすれ違いが生まれてきて、それは次第と拡がりつつあったような気がします。その人、ラーメンの自己流アレンジに拘り始めたんです。最初のうちは煮卵や叉焼、メンマや薬味などを工夫する程度でしたし、それは私も一緒に楽しんでいました。でも、時を経る毎に、その拘りの度合いが強くなって行ったんです。」 「異なるお店のスープ同士をブレンドして味わいに奥行きを持たせるとか始めましたし、そのうちスープを自分で作り始めるとか、或いは何時間もかけて叉焼を作り始めるとか始めてしまいました。叉焼にしても、ロースだとかバラだとかの部位に拘るとか、或いは燻製などを始めるとか、その拘りが次第次第に深みに嵌まっていく、そんな感じでしたね。過剰なまでに拘りを追い求めるその態度に、私は次第に醒めつつありました。」 「私と一緒に気軽にラーメンを食べて、その味わいについて和気藹々と楽しく語り合う、そんなことが段々と少なくなって行きました。その代わり、彼が作ったアレンジラーメンの試食をすることが多くなってしまいました。新作のアレンジラーメンを食べさせられ、どんな工夫をしたのか分かるかとか尋ねられたり、或いはどんな材料を使っているか当ててみてと聞かれたり。それを当てられなかったら気まずい感じになってしまうし、そして味わいに駄目出しなんかしようものなら、もう落ち込んじゃったりするんです。結局、一緒にラーメンを食べることが苦痛になっていってしまいました。その人の拘りに付き合い続けるのって面倒臭いなって、正直思っちゃいました。」 「そのうち、その人は、作ったアレンジラーメンをスマホで撮影してはSNSで公開し、その反響を気にしたりし始めました。いいねが沢山貰えたとか、或いはバズったとか、そんなことで一喜一憂するんです。実は、その人の会社って、新型コロナの影響で段々と業績が悪化しつつあったようでした。その煽りを受けてか、その人はそれまでとは異なる部署に異動させられてしまい、慣れない仕事に悪戦苦闘していたみたいなんです。後輩に使えない奴などと陰口も叩かれることもあったようで。そのことでプライドが傷付いて、仕事の上でのフラストレーションも溜りつつあったんでしょうね。その所為もあってか、損なわれつつあったプライドをアレンジラーメンの評価で補おう、そんな動機もあったのかなって思います。プライドに拘り続けるのって不自由だな、って思っちゃいました。」 「そんなことが重なって、何時しか、その人に対する私の中の熱みたいなものが段々と失われていくような感覚を抱き始めていました。ただ、しばらくの間、それは普通のことなんだろうなと自分に言い聞かせていました。付き合いが深くなればなるほどに相手の性格などのアラが見えてくるのは当たり前のことだし、そして、いざ結婚を意識し始めると、マリッジブルーって訳ではないけれども、自分自身の気持ちも不安定になってくる。恋愛が謂わば熱狂ならば、結婚やそれに至る道筋は、ある程度は現実を見据え、醒めた態度で物事を進めていくことも必要なんだろうな、と自分自身に言い聞かせる日々でした。また、その人にしても、結婚に向けて生活を安定させなきゃいけないのに、仕事が上手くいかず大変な思いを抱いているんだから、それを理解してあげなきゃ、とも自分自身に言い聞かせました。でも、自分の中の熱が冷めていく、思いが色褪せていく、その流れを押し止めることは結局、出来ませんでした。」
/12ページ

最初のコメントを投稿しよう!

6人が本棚に入れています
本棚に追加