嘘と祈り、或いは煩悩

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「別れ話をし始めた時期、それを正直には覚えていません。年が明けたころから、もう無理だってことがお互いに分かってきちゃって、段々とそんな雰囲気になって来ましたね。その頃から、喧嘩をすることが増えてきました。それは感情をぶつけあってお互いの理解を深める、といったものじゃなくて、お互いの気持ちが薄れつつあることを確認するための儀式といった感じのものだったような気がします。そして、お互いを嫌いになるための手順といったとことでしょうか。そんな喧嘩の中で、別れるって言葉が段々とお互いの口から飛び出すようになってきました。その言葉を口にしてみることで、お互いの気持ちに探りを入れていたような気がします。」 「二月になってからは、その人と会う機会もめっきり減ってしまいました。気持ちが離れつつある、冷めつつあるとは言え、会ったら会ったで嬉しい気持ちも矢張りある。大切な人であること自体に変わりは無いし、そして、関係が元に戻ってくれないかって気持ちも込み上げてきてしまう。元の彼に戻ってくれないかなと願わずにはいられない。そんな自分の気持ちと、もうどうしようもない現状とのギャップに対し感情的になってしまう。そんなことは今更無駄だと頭ではちゃんと理解はしているんだけど。すごく矛盾しているんです、私って。だから、もう会うのが辛くなってしまって。」 「三月に入ってからでしたね、彼のほうからハッキリと切り出してきました。もう別れよう、って。お互いに気持ちが冷めていたのは分かりきっていたことだし、いつ、どちらから切り出すかだけの話でしたけど、でも実際に別れを告げられたら動揺もしたし、そして、悲しかったです。2、3日は泣き通しでしたし、何とか関係を元に戻せないかと夢想したりもしました。」 「でも、一週間も経たら、突然といった感じにそれを受け入れることが出来ていました。ある朝起きたら、何故か完全に納得できていて。あぁ、もう終わりなんだな、ってそれを受け入れた自分がいました。婚約と言っても、結納とかしていた訳じゃなくて、お互いの両親に結婚を前提に付き合っている人がいると伝えていた程度だったので、手続きなどはありませんでした。同棲をしていた訳でなく、お互いの部屋を行き来している状態だったので、別れる準備についても、それぞれの部屋に置いてある、それぞれの服や小物を持ち帰る程度のことで済みました。その一切が済んだのが、ちょうど一週間前の土曜日でした。」 「彼の部屋の冷凍庫は、冷凍ラーメンで埋め尽くされていました。それ専用のストッカーまで買っていたくらいです。最後にその人の部屋を訪れ、置いてあった小物を引き上げ、そして、お互いの部屋の合鍵を返しました。最後にコーヒーを一緒に飲みました。私のコーヒーが紙コップで出されたのはちょっと面白かったですね。無言でコーヒーを頂いて、今までありがとうってお互いに別れの挨拶を交わした訳です。そして、私がその人の部屋を出る時です。その人は、冷凍庫から幾つかの冷凍ラーメンを取り出し、小さめのトートバックに入れて私に渡してくれました。『ごめんね』って言いながら。」 「その時でしたね、その人への気持ちか完全に途切れちゃったのは。『ごめんね』って、結局はその人の自己弁護なんですよ。自分への言い訳って表現した方がいいのかもしれないですね。自分を守ることばかりに一生懸命で、結局は何一つ分かっていなかったんだな、って。」 「貰ったラーメン、取り敢えずは持ち帰って冷凍庫に入れていたものの、最初のうちはもう捨てちゃおうかなと思っていました。なんか不愉快だったし。でも日が経つうちに、だんだん同情めいた気持ちも抱くようになってきました。変な話ですよね、冷凍ラーメンに同情って。」 訥々と女性は話し、そして溜息を吐く。その表情からは微笑みは消え、そしてその眉根 はやや顰められている。恰も何かを考え込むかのように。 俺は、思わず尋ねてしまう。 「冷凍ラーメンに同情したって、何故ですか?」と。 女性はふふふっと鼻にかかったような小さな笑い声を立てる。 膝の上の白い丼を撫でながら。 そして、再び語り始める。
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