化けの皮

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 陰鬱そうな顔、と祖母は幼い私の顔を罵倒した。  表情が暗いのだろうかと考え、ニコニコと微笑みながら常に口角を上げるよう訓練すれば、 「ヘラヘラと薄気味悪い。こちらを見るな」  そう吐き捨てられる。  ならばつんと澄まして品よくいようと、児童文学に出てくるお嬢様の女の子を参考に窓辺に佇んでいれば、 「顔も悪ければ愛想も悪い。本当にみっともない」  そういって祖母は私の背に塩を撒いた。自分の容姿は化物やナメクジ程度らしい、と思い至った瞬間私は猛烈な悲しみに襲われたが、私が涙を流すと祖母は毎回決まって、 「お前みたいな不細工が孫なんだ、泣きたいのはこっちだよ!」  と私へ蠅叩きや蚊取り線香を投げつけてきた。  そのころから私は、涙の流し方を忘れたままでいる。  祖母は私が小学校へ上がる前に死んだ。祖母が死んでから、私は容姿を誰にも馬鹿にされなくなった。  そもそも私の周囲に、私の容姿を嘲る人間は祖母しかいなかったのだから当然だといえばそうかもしれない。小学校でも中学校でも、私はずっと、 「学年で一番かわいい女の子」  と呼ばれていた。高校では“学年”の部分が“校内”に変わった。私はただ黙っているだけのことでわかりやすく親切にされたし、その親切に対しありふれた礼を述べると、 「小野さんにありがとうって言われると、なんか照れる」  男女関係なく、皆幸福そうにはにかんだ。  高校を卒業し、地元を出、短大に入学しても私は相変わらず「かわいい女の子」という特等席を無条件で与えられ続けていた。  さすがに短大一の、というわけにはいかなかったが、それでも私の容姿に憧れているのだという周りの女の子たちからは、私が使っている化粧品を真似して買ってもいいか、どの店で髪を切り、どの店で服を買い、普段どのようなものをどのくらい食べているのか、そういったことを頻繁に訊ねられた。  男の子からはしょっちゅう食事や新作映画の誘い、悩みごとの相談、あるいはいきなり「小野さんのことが好きだ」「付き合ってほしい」「恋人になってくれないか」などと毎月片手ほどの回数言われた。  街を歩けば、軽々しく声をかけられることこそほとんどなかったが皆私を凝視し、数人に一人は、 「かわいい……」  と溜め息交じりに漏らした。
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