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 フフ、と薄い笑みを浮かべた雪子様は、菓子ではなく、俺を見つめる。向けられた双眸には、好奇心と、欲望を感じさせる光が宿っていて、思わず背に冷たいものが走る。  人間の世界とは違う、もののけや妖怪といった「ひとでないもの」が住まう隙間の世界――隙魔界(すきまかい)。  半年前、ここに迷い込んだ俺は、彼らに喰われるはずだった。人間の持つ「生気」は、この世界の存在にとって最上に美味なるものらしい。 当然、俺は襲われた。しかし。 「トヨ姫様は風変わりでな。迷い込んだ人間をむやみやたらに喰ってはいけないとお考えだ。運が良かったな、助けてくださったのが姫で」  トヨ姫。隙魔界を統治する神の娘であり、俺と「供物の契り」を交わした相手である。  さようでございます。と頷くが、雪子様の目は笑っていない。思わず、左腕の組紐を触った。 「ああ、美味しい。こちらには作り手がいない故に、いっそう美味に感じる……」  上機嫌の雪子様にへらりと愛想笑いを浮かべ、ではこれにて失礼します、と立ち上がろうとしたときだった。 「が、ちと物足りぬ」  ぐい、と腕を掴まれ、あっという間に雪子様の腕の中に閉じ込められた。  はだけた着物から見える豊満な胸にあたたかさは皆無だ。締め付ける腕の強さが、恐怖でしかない。逃げようとしても、冷気が体の熱を奪い、意識が遠のいていく。 「いっそ、私だけの菓子職人になればいいではないか。必要なモノも全て用意してやろう。我慢できそうにない……おまえの生気は本当に美味そうだ……」  氷のように冷えた手で顎を掴まれ、顔を寄せられる。抵抗しようにも体は動かない。  上気した表情は扇情的で、なにも事情を知らない人間なら魅了されただろう。  だが、うっかり口づけてしまったら最期。奪われるのは貞操どころか、命そのものである。  ひとの形を取っていても、雪子様はまぎれもなく「ひとならざるもの」だ。  なんとか腕を動かし、左腕の組紐に触れる。頭の中だけで助けを呼ぶ――彼女を。  雪子様の唇があと数ミリで触れそうな瞬間。  どこからか、凜とした声が部屋に響き渡った。 「無粋な真似はおよしになって」  声のする方に目線をやれば、そこには人影があった。  美しく流れる黒髪。  あでやかだが、なぜか丈の短い奇抜な着物。  肩から掛けられた羽衣が、風もないのにゆらゆらと揺れる。  刃の鋭さを感じさせる、整った顔立ち。  男女はおろか、魑魅魍魎を問わず惹き付ける魅力に溢れている女性――「隙魔界」の姫であり、俺の契約主であるトヨ姫が立っていた。
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