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職安から家に帰る日は、母の代わりに買い物に行く。どこかへ面接に行った時は、最寄り駅でスイーツを買って帰る。母親は素直に喜んでくれた。
不思議と体は辛くなかった。それどころか学生時代から悩まされていた眠気やだるさからも解放された。目覚ましアラームの鳴る時間にすぱっと目が覚め、夜眠くなくても布団に入れば眠ることができた。
感受性は死んでいるので本もテレビも面白くない。だからやるべき事に飽きても他にすることがない。結果、履歴書を書く手を止めないでいられる。
五時になり自分で課したノルマをこなすと家に帰って母親の夕食を食べる。
疲れて頭痛がすれば痛み止めを、胃が痛めば胃薬を飲む。そんな風に毎日を過ごした。
肉体的苦痛がない、体が言うとおりに動く、突発的な障害(例えば腹痛で電車を降りるといった)への不安が少ない。
そんなことがここまで快適で安心であるとは、今まで知りもしなかった。
湯船につかりながら、
(何の不満もない。今なら死んでもいい)
明里はそう思った。
小学生のころから、辛いことがあると常々死を思うような人生だった。「どうにもならない時は死んでしまえばいいのだから」と自分に言い聞かせないと乗り越えられないような精神状態になることが多かった。
だがそんな自分でありながら智樹に捨てられ、住む家を無くした時はちらりとも死のうと思わなかった。
(あの時なら死ねたかもしれないのに)
風呂場の天井を見ながら、どこか寂しい気持ちで明里は思った。
(あの時死ねなかったのなら、もうしばらくは生きるしかない)
たとえ肉体だけのゾンビだとしても。
昔の自分、本当の明里は薬と心労の狭間で溶けて死んでしまったのだ。
けれど誰もそれを気付かない。職安の人も、面接担当者も、母親も、屍肉を引きずるゾンビが目の前にいるのに気付かない。死んでしまった方の明里は、誰にも顧みられていないのだ。
(かわいそうな、明里)
他人事の様に明里は思った。
仕方がない。明里自身現状には何の不満もないのだから。
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