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ペーパーホルダーや便器にぶつかりながら、狭い空間に「く」の字になって倒れると、明里はもう一度血を吐いた。口内のしょっぱさは血の塩分だったのだ。
突然体が動かなくなる。体温が急に下がって行くのが分かる。
苦しいというよりも、怖くて寒かった。
明里は思った。
(これで、こうやって私は終わるのか)
ゾンビになってからの、短くて長い日々がよみがえった。
むせ返るような血の臭いの中、目の前がまた暗くなる。目をつぶりかけているのか、血が足りなくて視界が狭まっているのか、どちらなのかも分からない。
終わりは常に唐突だ。
智樹との生活もそうだった。
あの時は死ぬことは出来なかった。だが今は違う。今度こそ自分は死ぬ。
ああ、下らない人生だった。そう落胆しながら、同時に明里は安堵していた。
もう戦わなくていいのだ。
涙と鼻水と血がない交ぜになって、トイレの床に流れて行く。
もう朝早く起きて化粧をしなくていいし、怖いと逃げる心を押しつぶして仕事を引き受けなくていい。
給湯室から聞こえる嘲笑に耐える必要もない。それに、ママにこれ以上怒られないで済む。
「う……ううう…………」
明里は泣いた。ゾンビが戦った日々を思って泣いた。小さな声しか出なかった。声を張り上げるような力は、この肉体には残されていなかった。
辛かった。
感受性が死んだのは嘘じゃない。薬で随分楽になったことも事実だ。
だが、それでも戦いの日々は辛かった。もう休みたい。もう休んでもいいよね。誰にともなく明里は確認した。返事をするものはいない。
(ああ、さびしい。死ぬ時も一人なんだな私は)
そう思いながら明里は目を閉じようとした。眠りたかった。
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