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明里は母親の呼んだ救急車によって病院へ運ばれた。胃潰瘍だった。
病名を聞いた時明里は内心拍子抜けしたが、母親は「輸血の同意書に署名したんだから。危なかったのよ」と顔をしかめた。輸血は結局実行されなかったが、生命の危機ではあったようだ。
明里は救急車の中で意識を取り戻し、近くの市民病院に搬送された。胃潰瘍だけで済んだので腹を開く必要もなく、内視鏡で処置は終わった。
回復するまで二週間の入院が必要だった。
体は思うように動かなかったが、入院してしまうと明里はあっという間に普段の状態に戻った。あの激しい漂流の夜が嘘のように、体は従順に薬に従った。
やはり屍肉は飲み込みが早い。自分自身でそう思う程、回復は順調だった。
医者の診察には母親も同伴した。
「何の前触れもなくこんなになるものですか」
母親は罪のない医者をまるで責めるようになじった。
眼鏡をかけた中年の医者は温和な声で明里に問う。
「何か自覚症状などありませんでしたか」
明里は母親の医者への態度に気をもみ、それどころではなかった。原因などどうでもいいから、早くこの場面を切り抜けたい。それだけを願っていた。
だが沈黙する訳にもいかない。とりあえず口角を上げて首を傾げる。
「ストレスが胃に来るタイプなので、胃はしょっちゅう痛くて……。健康診断でも貧血位しか該当しなかったので、驚いてます」
「貧血」
医者が目を細めた。
「それはおそらく胃からの出血によるものだったのでしょうね。血は胃では吸収されないんですよ。胃の中に溜まってしまうんです」
「そうなんですか」
明里は目を丸くする。意外だった。貧血は体からのサインだったのだ。
「胃が重かったでしょう。かなり市販薬を常用したのではないですか?」
医者の声が咎めるニュアンスを孕んだ。明里は内心「げっ」と思いながらも、正直に白状した。
「はい。かなり……」
「いけませんよ。根本的な解決にはなりませんからね。退院後は控えて頂いたほうがよろしいですね」
「はい……」
明里は小さくなって頷いた。最初の一言以来、何も発言しない母親が不気味だった。
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