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秋の晴れた日の午後だった。そよ風が開け放たれた窓から吹き込み、カーテンが揺れている。
大部屋へ移った明里は、眠りから目覚めた。
ベッドを仕切るカーテンの内側で、母親が椅子に座り、何かをめくっていた。
静かな午後だった。他の入院患者には見舞客がいないらしく、部屋の中は静まり返っている。
血を吐いてからと言うもの、毎日が慌ただしかった。やっと訪れた落ち着いた時間だった。
明里は母親に謝らなければと思った。
日々淡々と明里の世話をこなす母親は、自分に怒っているだろうと思っていたのだ。トイレの血のこともある。
そしてそれだけではない。入院する前からのこともあった。明里は母親の望むような行動が取れていなかった。家事はおざなりだったし、お土産を買って喜んでもらうことからも遠ざかっていた。
「ママ……」
明里は自分の声が、小さくかすれていることを情けなく思った。母親の前では、魂も肉体も、やはり縮こまるのだ。
「ママ、ごめんなさい」
母親は片眉を上げて手元の冊子から顔を上げた。
母親は少し沈黙した後、明里の謝罪には答えず、言った。
「あんたは昔から吐き性でさ。熱を出すといつも吐いてたわよ」
その口調に責める色は無かった。ただ昔を懐かしむ眼差しがあった。
見ると母親の手にあった冊子は、幼い日の明里の写真をおさめたアルバムだった。
「ここは市民病院だから外来に来てる若い親子が多いのよ。見てたら昔のこと、思い出しちゃった」
母親はアルバムをめくる。
明里には懐かしい過去などない。記憶の中の母親はいつも不機嫌で、彼女の定めた枠からはみ出さないようにと、日々神経を張り詰めて生きていた。
「ごめんなさい」
明里は重ねて謝った。
「私子供のころから進歩無くて……ママを全然喜ばせられなくて」
声が震えそうになるのをこらえながら続ける。
「もう年なのに結婚もできなくて、子供も……孫の顔も見せられなくて……」
明里は自分が結婚していないことを責められたのだと思った。
ゾンビの自分には、結婚や子供を持つことなど想像すらできない。
元をただせば、母親を放っておいてしまったことへの罪悪感から実家へ戻ったのだ。それにも関わらず、自分の面倒もろくに見れず逆に手間をかけている。正直怒鳴られても文句は言えない。
明里は魂を委縮させて母親の声を待った。
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