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好き___、矢野の口から出たその響きに、昨日有馬さんに言われたことを思い出す。
有馬さんは私を好きなのだと言った。
その好きが、どんな形をしているのかは知らないけれど。
『いや、好きは好きだけど、…付き合いたいとか独占したいとか、そういう類じゃないんだろうね。』
離れられなくなるような磁力が発生してるわけでもない、独占欲に狂うわけでもない、そんな関係に対し簡単に“好き”を当てはめていいとは思えなかった。
「そんなもんかね。」
『まあ、なんていうか…純粋な好きとかそういうの、ちょっと難しいよね。』
あ、だめだ。
意味深な自分の発言を耳で聞いてハッとする。
何言ってるんだ私。
咎められた焦りから、自ら恋愛不適合みたいなことを口走ってしまう。
「純粋な好き?」
『欲とか、心としての…みたいな?』
矢野の前での私は取り繕うのが下手らしい。
仲の良い友人でもあるまい。
仕事仲間、落ち度を知られている相手にする話ではないだろう。
曖昧に言葉を濁してゆく私に対し、矢野はあっけらかんとした声で話を変えた。
「今週も来てよ。俺ん家。」
『ええ…、よく飽きないね。』
セックスするわけでもないのに、と頭の中だけで続ける。
つくづく何が狙いなのか分からない男だ。
私が思う男女のコミュニケーションが通用しないため、うわてに回ることが出来ない。
「世良のこと狙ってるし。それに…世良と話すの面白いから。」
『…、』
不覚にもドキっとしてしまったのは、あまりにも矢野が柔らかい笑みを見せるから。
私のことを狙っている、とは到底思えないけれど、話すの面白いというのは本音のように思えた。
悔しい。
こんな脅されているような関係なのに、少しトキめいてしまったではないか。
私の心の上がり下がりを知らない矢野は、ノートパソコンとペンケース、手帳を片腕に抱えてこちらに背を向ける。
『ちょっと待ってよ、』
私がまだ中にいるのに躊躇いなく出て行ってしまう矢野に続いて、私もミーティングルームを出ると、その場でよく知った顔とばったりと出会した。
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