3.好きの形はひとつだけ?

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*** オフィスの照明を落としてフロアをまわる頃、時計の針は22時40分を指していた。 有馬さんは他人の考えを汲み取るのが上手い。 そして抱える課題をするすると暴き、必要な事柄を導きシンプルに突き詰めていく、そういうプロダクトデザイナーであり上司だ。 「最終施錠は任せて先帰るな。もっと早く帰れる日にまた飲みに行こう。喧嘩するなよ。お疲れ様。」 「お疲れ様です。ありがとうございます。」 『ありがといございました。』 有馬さんのおかげで矢野と私の新企画は、何を残し何を捨てていくのかという方向性を見出すことが出来た。 大切にする順番を決めて仕舞えば、あとはそれに順ってつくるだけ。 部下たちの士気を高めるもの上手い有馬さんに充てられて、矢野と私は同じところに向かって企画を進められそうだ。 施錠確認のために、6F建のオフィスを上から順番に降りてまわる。 それは、打合せの続きみたいな会話をしながら2Fまで降りてきた時だった。 「あー…好き。」 矢野が深い深いため息に交えて心の声を漏らしたのは。 『…!』 その声は小さなものだったのに、ひと気のなくなったオフィスにはよく響いた。 つられてドキっと心臓が大きな音を立てる。 彼の言葉が私に向けられたものではないと分かっていて、だからこそ余計に驚いてしまったように思う。 『…漏れてるよ。』 「世良だから、漏らしてるの。」 悪戯っ子みたく笑う矢野からは、この前みたいな毒気はもう感じられなかった。 世良だから、と私の名を簡単に呼ぶこの関係性が、なぜかとても大切なものみたく思えた。
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