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2025年3月。
社会の秩序が、驚くほど乱れていた
電車の中では、お年寄りに席を譲る若者もゼロになり、街のあちこちでケンカが発生、詐欺や強盗も頻発していた。
朝のモーニングショウで、そんな社会の状況をゲストの言語学者が解説をしている。
「えー、この状況は、みなさんが使っている言葉が原因なのです。ほら、女子学生とかが、『うざい』とか『きもい』とか、そんな言葉を使っているでしょ。あれが原因なんです。日本には、言霊というものがあるんです。良い言葉を使うと、良いことが起きる。悪い言葉を使うと、個人にも社会にも悪い影響が出てくるんです。今の状況は、正に、それが原因ですね。」
それを受けて、司会者が聞いた。
「なるほど。それじゃ、先生は、悪い言葉を使うなということなんですね。」
「そうです。もう今に至っては、敬語を使いましょうとか、思いやりのある言葉を使いましょうとか、そんなところまで期待するのは、無理でしょう。なので、悪い言葉を規制するだけでもしましょうということなんです。」
そんな解説を、言語学者は力説したが、モーニングショウで紹介されたぐらいでは、それは社会に浸透してはいかなかった。
なので、社会秩序は、さらに乱れて言ったのである。
そんな状況を改善すべく、ある法律が国会を通過した。
「えー、こらからは、悪い言葉を使う事を禁止します。悪い言葉を使った場合、直ちに懲役1年の実刑が下されます。」
総理が、そう宣言した。
それを聞いた記者は、「総理、それでは、悪い言葉と、良い言葉の、線引きは、どうなるのですか。」と質問をした。
「そうですね。悪い言葉とは、相手を誹謗中傷する言葉です。そして、相手を傷つける言葉です。」
すると、今度は、女性週刊誌の記者が聞いた。
「総理。相手を誹謗中傷する言葉というのは、解ります。でも、相手を傷つける言葉というのは、その相手や状況によると思うんです。たとえば、プロポーズをして、それを相手が断ったら、それは、相手を傷つけますよね。こんな時も、この法律は当てはまるんですか。」
「なるほど、女性週刊誌の記者さんらしい質問ですね。そうです。今はもう、相手を傷つけるということの判断基準を作っている時間的猶予はないんです。今すぐ、この言葉を使わないようにして、まずは、社会の秩序を取り戻すことが最優先なのです。」
「ちょっと待ってください。それは、あまりにも無謀な法律ですよ。」
「いやいや、それは、いい加減な。」
記者会見の場で、そんな言葉が一斉に飛び交う。
さっきの女性週刊誌の記者が続けた。
「総理。それじゃ、さっきの場合などは、どのような言葉をプロポーズした人に言えばいいのですか。結婚したくなくても、オッケーしなきゃいけないのですか。それって、嘘をつくことにならないのでしょうか。嘘をつくのはイケナイことなんじゃないですか。」
「そうです。嘘をつくのです。この法律の別名は、『嘘推進法』と言うのです。おおいに嘘をついてください。人を幸せにする嘘をね。まあ、そのプロポーズされた人は、それはいくらでも断る嘘をつけるでしょう。」
それを聞いて、また女性記者が続けた。
「じゃ、そのプロポーズを断る言葉を、総理なら、どういう風に言うんですか。」
やや、興奮気味だ。
「そうだなあ。『プロポーズ、ありがとう。嬉しいわ。あたしもあなたと結婚したい。でも、ダメなの。あたしね、告白すると、人殺しなの。3年前に、2人殺しているの、ううん、理由なんて無いの、ただ殺したくて殺しただけ。だから、いつか捕まって刑務所に入るわ。そうなったら、あたしたちの子供は、殺人犯の子供ってことになるのよ。可哀想でしょ。それに、あたし、性病もちなの、ほら、あなたに移しちゃったら大変じゃない。』なんてのは、どうですか。」
総理は、女性の声色を使って答えた。
その女性のモノマネがあまりにも気持ち悪かったので、場内から「うわ。」と声がもれた。
しかし、その説明が、妙に会場にいた記者のこころをつかんだのか、それ以上の質問は出なかったのである。
しかし、どうして、そんな無茶な法律が通ったのかというと、実は、先のモーニングショウの田中克己先生は、社会秩序回復対策委員会の主要メンバーだったのである。
そんな法律を強固なものにするために、街中に、録音付きの監視カメラが設置された。
大阪の大学病院の病室。
「先生、やっぱりガンでしょうか。」
「ええ、ガンでした。でも、大丈夫。このぐらいなら、1年も治療すれば、すっかり回復するでしょう。」
《嘘をついた。》(かなり進行しているな。これじゃ、半年はもたないな。)
「良かった。これで安心しました。」
「先生、うちの主人の事、よろしくお願いします。でも、本当に良かった。」
《嘘をついた。》(ああ、これで主人とオサラバ出来ると思ったのに、まだ生きるんかいな。早く、保険金欲しいわ。)
「じゃ、お大事に。」先生は、笑顔で見送った。
「ありがとうございます。」主人と奥さんが、笑顔で挨拶をした。
そして、2ヶ月後。
「先生、もう胃のあたりが痛くて痛くて。これって、ガンのせいなんじゃないですか。」
「いえ、ガンは小さくなってますよ。まあ、ガンが小さくなる過程で、一時的に痛みが出ることもあるんですよ。」
《嘘をついた。》(もうこんなに進行してるのか。これじゃ、痛いに決まってるわ。うわあ、あと持って1か月ぐらいか。)
「それじゃ、この薬を出しておきますね。これで痛みも治まりますよ。」
後ろにいた看護婦が、その処方箋を見て、先生を見た。
(うわあ。こんな大量のモルヒネ処方して、大丈夫なの。)
患者は、喜んで帰って行った。
そして、また1か月後。
奥さんがやって来た。
「先生、うちの主人、先週、亡くなりました。でも、最後の最後、痛みもなく、安らかに死んだと思うんです。それも、先生のお陰です。ありがとうございました。」
「そうですか、それは残念でしたね。奥さんも大丈夫ですか。」
「ええ、ありがとうございます。実は、ショックで、三度の食事も喉を通らないぐらいなんです。」
《嘘をついた。》(帰りに、美味しいもんでも食べて帰ろ。そうや、久しぶりに天ぷらそばでも食べたなってきたわ。)
「そうですか、そういえば少し瘦せられたみたいですね。」
《嘘をついた。》(そんなことないやろ。見た目、ぶくぶくやん。絶対に、食っちゃ寝しとるで。)
「本当に、ありがとうございました。」そう言って、奥さんは出て行った。
考えて見たら、誰も傷つくことなく、円満に事は終わったのである。
ある意味、政府の法律の効果が出たのかもしれない。
尼崎の駅前の出来事である。
「あのう、こんなことを言って、不審に思われるかもしれません。でも、切羽詰まっておりまして、敢えて、優しそうな方にお見受けしましたので、声を掛けさせていただきました。」
《嘘をついた。》(こいつにしよ。えらい、気の弱そうなオッサンやし、こいつやったらいけるやろ。)
「なんだね。」
「ええ、実は、今、病院から電話が入りまして、わたしの母親が交通事故で、病院に運ばれたらしいんです。それで、危篤状態だと。今すぐにでも行ってやりたいのですが、突然の事だったので、財布を持たずに家を出てきてしまったのです。こんなことを見ず知らずの方にお願いするのは、失礼だとは思うのですが、少しばかりタクシー代をお借りできることはできませんでしょうか。」
《嘘をついた。》(ぷぷ、母親が危篤って、ようそんな嘘ペラペラ言えたな。俺も天才やな。)
「そうか、それは大変やな。いくらぐらい要るんだ。」
「ええ、往復で1万円あれば、大丈夫です。」
《嘘をついた。》(アホか、オッサン。おれはな、オッサンをカツアゲしとるんや。)
「よし、解った。じゃ、1万円貸してあげよう。」
「ありがとうございます。あのう、これが僕の名前と電話番号です。また、病院から帰ってきたら、この1万円は、必ずお返しします。」
《嘘をついた。》(これな、リカちゃん電話の番号やで。オッサン電話掛けたらビックリするで、ほんま。)
「ほう、礼儀正しい青年だね。解った。それより、早くお母さんのところに急いで行きなさい。」
「ありがとうございます。」
「おい、ちょっと、ちょっと、タクシー乗り場は、こっちだよ。」
「ええ、知ってます。でも、母親の事を考えたら、ストレスで、お腹が痛くなりまして、ちょっと先にトイレに行ってきます。トイレに行ったら、すぐにタクシーで向かいます。」
《嘘をついた。》(アホか、今からトンズラするんや。ほな、さいなら。)
「そうか、じゃ、気をつけてな。」
お金を貸したサラリーマンは、今日1日、お得意先のクレームで走り回り、ツイてない日だなあと、くさっていたのだ。
でも、今、見ず知らずの青年に対して、良いことをしたことで、何か、晴れやかな気分になっていた。
「さあ、もう一仕事しますか。」
サラリーマンは、笑顔で次のお得意先に向かって歩き出した。
おかしなことに、この場面でも、2人ともが幸せになったのである。
カツアゲが、良いことか悪ことかは、置いておいてもね。
そして、正に、プロポーズの瞬間が、大阪で起きようとしていた。
ユニバーサルスタジオジャパンの園内のレストランに、2人はいた。
「ねえ、どうしてアトラクションに乗らへんの。」
「だって、俺、高いとこ苦手やし、スピード出るのも怖いし。」
「あんたねえ。それじゃ、なんで、ここに来たのよ。」
「だって、楽しそうだし。それに、今日は、ここだって決めてたんだよ。」
「何、どういうこと。」
「葉子。僕は、葉子を愛してる。僕と結婚してください。僕は、昔からアメリカ映画が好きだったんだ。だから、こんなセットの中で、葉子にプロポーズしたかったんだ。」
そういって、結婚指輪を差し出した。
「何よ、こんなところで。みんな、見てるじゃん。恥ずかしいよ。」
レストランの中でプロポーズしたせいか、周りのテーブルのお客の視線が、2人に集中した。
となりのテーブルの白いブラウスにタータンチェックのスカートをはいた小学生の女の子が、両手で口をふさいで、キラキラした瞳で、ママを見て「ママ、オッケーすると思う?」と聞いた。
葉子は、その女の子に向かって、ニコリと笑って、それから、俊介に向き直って言ったのである。
「あたしのことを幸せにしろよ、オッサン。あたしを泣かせたら、オッサンを、殺すからね。」
そう言って、指でピストルの形を作って、俊介を撃つマネをした。
「パン。」
レストランのお客から、一斉に「おめでとう。」の言葉が、降り注いできた。
女の子は、ママに向かって「やっぱり、オッケーだ。」と嬉しそうに言った。
そして、2人は、普段は注文しない、ちょっと高級なワインを頼んで、乾杯をした。
すると、5分も経たないころだ。
いきなり警官がレストランに入ってきたのである。
「君たち。いや、君の方だ。今、オッサンといったね。そう、殺すとも言った。ちゃんと、カメラにも映っているし、録音もされている。これは、法律に明らかに違反している。なので、今から、刑務所に連行します。」
「いや、ちょっと待って。確かに言ったかもしれないけれど、あれは、あたしの愛情表現なのよ。オッサンも、殺すも、あれは愛情から出た言葉なのよ。」
葉子が、説明をした。
「そうなんです。僕がプロポーズをした返事なんです。そして、オッケー貰ったんです。プロポーズがオッケーの言葉が、法律違反なんて、それは違うんじゃないですか。」
「そうはいっても、法律は法律だ。」警官は、強気だ。
すると、レストラン内から、「オッサンは、大阪では、使っていい言葉じゃないかな。悪い言葉じゃないよね。」という声が聞こえて来た。
「うん、解るよ、解る。俺も、大阪人や。オッサンが、そんな悪い言葉じゃないことは、解る。まあ、グレーゾーンっていうことにしとこか。そやけどな、殺すは、これはアカンやろ。これは絶対にアカン。そかやら、今から連行さしてもらうで。」
そう言って、葉子を無理やりにパトカーに乗せて走って行った。
ただ、俊介が、レストランにいた客や従業員に協力を求めて、嘆願書を警察に提出したら、何とか、数日後に、釈放をされた。
法律の解釈によっては、こんな不幸も起こりうるということである。
しかし、法律なのだから、仕方がないのであります。
天王寺のお寺で、坊さんが説教をしている。
「救われようと思ったらね、徳を積まなきゃいけない。」
「徳を積むのには、どうしたら良いのですか。」信者さんが聞いた。
「それはね、嘘をつくことです。今までは、正直になりなさいと教わってきたかもしれません。でも、それは間違っていたのです。今は、未曾有の世界の転換期に来ている。
詰まりは、カシオペア座が、あーたら、こーたら、そんでもって、五黄土星のあれが、これで、まあ、わしも専門的なことは、よう解らへんけど、そんな理屈は、どうでもええんや。これからの時代はな、価値観が変化した時代ちゅうわけやな。」(急に大阪弁になる坊さん)
聞いている信者の中から、独り言のような呟きが聞こえてくる。
「カシオペア座が、あーたら、こーたら、、、。」
それを聞いた坊さんが、言った。
「そこの部分は、覚えんでよろしい。わしも、詳しいことは分からへんのやし。兎に角、価値観が変化してる時代に入ったっちゅーことが、重要や。詰まりはな、正直が悪で、嘘つきが善ということや。」
「正直が悪で、嘘つきが善。」
信者は、首を傾げながらも、坊さんの言った言葉を繰り返した。
もう既に、日本中で、坊さんの言うところの価値観の変換が定着してきていた。
法律から、1年ほどしたら、日本国中の社会の秩序が正常に戻りつつあったのである。
そして、社会の秩序が戻って、一見、平和な暮らしを取り戻したと思われた時に、大変なことが思ったのである。
「総理。大変です。富士山が噴火しました。」
「何、富士山が噴火。それで、その噴火による被害は、どうなっている。」
「はあ。今のままでは、静岡県、山梨県は、全滅でしょう。東京も、半分は、壊滅する予想です。」
「それは、いかん。すぐにでも対策本部を設置しよう。そうだ、まずは、国民に向けてメッセージを発信するべきだろう。」
テレビカメラの前に座った総理が、用意された原稿を読み始める。
「本日、富士山が噴火しました。でも、安心してください。被害は最小限に終わるでしょう。」
《嘘をついた。》(ああ、もうダメだ。静岡、山梨は、全滅だよ。それに東京だって、、、みんな、わたしの言葉の真意を推し量って、どうか東京から逃げてください。しかし、どうして、こんな法律作ってしまたんだろう。)
それを放送しているスタッフの中から疑問の声が上がってきた。
「いや、いくら法律違反だといっても、これは国民の生命が掛かっているんだ。事実を伝えるべきなんじゃないのか。それが、ジャーナリストの使命なんじゃないのか。」
「いや、それは、ダメだ。東京も、今から被害が出てきて、半分が壊滅するなんて放送したら、東京の人が傷つくじゃないか。人が傷つくことを言うのは、法律違反だ。それに、嘘をつくことが善だとは思わないのか、君は。」
ディレクターが、スタッフに言った。
「しかし、、、。」スタッフの声は、力づくで消されてしまった。
とはいうものの、富士山が噴火という事実と、被害が甚大だったという事実は、結果として隠せるわけではない。
あまりに大きい被害だったことで、総理の責任が問われた。
国会で追及する野党。
しかし、総理は、平然と答える。
「富士山の噴火については、知りませんでした。」
《嘘をついた。》(だって、法律が絶対だもんね。)
そして、その甚大な被害についても、人を傷つける発言は、法律違反で捕まってしまうので、国民の中からも、政治家からも、誰も言いだすものが無く、うやむやに終ってしまった。
「こんな法律は、今すぐ撤回すべきだ。」
そういう声も上がったが、その発言も、誰かを傷つけるかもしれないということで、誰も言いだすものがいない。
そんな状態が、続いた。
そして、5年後。
本当の事を言えない社会から、本当の事を言える外国に、移住していくものが爆発的に増えていた。
人を傷つけるかもしれないが、本当の事を言える社会。
嘘をつかなくも良い社会へと、逃げ出したのだ。
そして、日本には、政治家と、詐欺師だけが残ったのである。
《後日談》
日本人が大挙して移住した国のモーニングショウで、コメンテーターが喋っている。
「最近、移住してきた日本人の相手の事を考えない言葉で、多くの人が傷つけられています。どうか、日本人のみなさん、言葉を大切にしてください。そして、道徳心を忘れないで下さい。」
すると、それを受けて女性司会者が言った。
「そんな生ぬるいことじゃ解決しません。人を傷つける言葉を使ったら、法律で罰する。それぐらいの手段を取らなければ、日本人の悪口と嘘は、無くなりませんよ。何しろ、道徳を習っていない人たちですもの。」
その日の、テレビの視聴率は、過去、最高のものだった。
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