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第19話 <何かを失えば何かを得る>
プロデューサーの電話はドラマのオファーだった。
昔俺がトレイングリーンをやっていたのを見知っていたらしい。
「あの頃テレビ見てて、演技はまだまだだったけど、
磨けば光る子だなって思って見てたんですよ!
芸能界引退されたって聞いてもったいないなぁって思ってたんです」
「いやいや、その後オーディション落ちまくったし、
ワークショップでもボロクソでしたよ」
「最初はそんなもんでしょうー」
プロデューサーは笑った。
「で、本題なんですけど今度弊社のドラマで
『サラリーマンズラブ』って言う、
サラリーマン同士のラブコメドラマをやるんです。
主役と相手役の恋路を邪魔する同僚の役なんですけど、
佐伯さんがイメージにぴったりで」
「でも僕、演技なんてもうずっとやってないですし、
事務所にも入ってないですし」
「その辺はもし受けてくださったら
佐伯さん側に不利がないように手配いたします」
正直心が揺らいだ。
またあの場に立てるかもしれない。
でも、ときめき四国館をやめてしまって、そこでまたダメだったら……。
「すいません、少し考えさせてもらってもいいですか?」
「もちろんです。 じっくりご検討下さい」
そう言って電話を切った。
次の日も、坊っちゃん団子の品出しをしながら俺は考え込んでいた。
ここはすごい嫌な職場ってわけでもない。
部署や店舗は変わったとしても、この会社にいる限り生活は安泰だろう。
でも……ここでずっとこうやって商品の品出しや
レジ打ちをしながら生きていくのか?
本部に昇格できたら、
デスクワークや新商品の発掘などの仕事もあるが……。
それはそれでやりがいもあるし、悪い仕事ではない。
でも……。
「握手してください!」
「俺、グリーンが好きなんだ!!」
子供達のキラキラした目を思い出した。
俺が演じた役を心底愛してくれて、
自分もそうなりたいって見た人に夢を与える仕事。
そんな仕事、誰にでもできるわけじゃない。
そして今、俺にそのオファーが来ている。
その日、俺は中野にメールを送った。
「飲みに付き合ってくれないか?」
「オッケー! ちょうど今日は夜空いてるんだ!」
そして俺たちはまたいつものモロッカンバーで二人並んだ。
「お前から話があるなんて珍しいな」
中野はいつものようにビールのグラスを片手に言った。
「実はドラマの仕事のオファーが来てるんだ」
「へぇ! すごいじゃない! で、受けるのか?」
「悩んでる」
俺はジントニックのグラスを回しながら言った。
「やっていける自信がないんだ。
前に俳優を目指した時も、ボロクソに言われたし、
オーディションも受からなかった。
このドラマでも良い結果が残せるかわからないし、
残せなかったら路頭に迷う。
だったら今の仕事続けていた方がいいんじゃないかって」
「うーん」
中野はまた口をにゅっとへの字に曲げた。
「なんか悪い想像ばっかだな。
まぁ慎重になるのは悪い事じゃないんだけどさ。
そのプロデューサーだってお前に魅力を感じたから、
無名でも出て欲しいって思ってるんじゃねぇの?」
そして中野はグラスを見つめながら続けた。
「最終的に決めるのはお前だけどさ、
なんかハナからダメって決めつけて、努力する覚悟もなくて、
まぁその程度の熱量だったらやめた方がいいかもな」
痛い所を突かれた気がした。
「前も言ったけど俺、お前に憧れてこの世界に入ったんだぜ。
あの頃のお前、生き生きしててさ、
芸能界が好きなんだなって思ってた」
「ちやほやされて浮かれてただけだよ」
目線を落として俺は言った。
ビールを一口飲んだ後、中野は言った。
「お前、俺に会いたくなかっただろ?
再会した時、そんな顔してた」
ギクリと心臓が鳴った。
「悔しくなかったか? 後を追った同級生が活躍するの見て。
俺が逆の立場だったら悔しくてしょうがないけどな」
そう言ってこちらをまっすぐに見つめた。
悔しかった。
死ぬほど悔しかった。
でもそこは見ないようにしていたんだ。
見てしまったら俺はもう向き合うしかなくなるから。
「ま、じっくり悩むのもたまにはいいかもよ?」
そう言って中野は席を立ち、店を出て行った。
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