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海辺の人々
都会から電車で3時間ほどの海沿いにある水色のペンション。古い建物を塗り直し、10段ほどの階段を登ると白いペンキの塗られた玄関がある。
広いウッドデッキには4人掛けのテーブルセットが二つ。外には簡易シャワーが付いていて、サーファーや海水浴を楽しむ人たちに重宝している。
俺はヤクザを辞めて、ここのペンションで住み込みで働いている。ペンションのオーナー吉次は元チンピラ。
吉次は目付きが悪いだの口が悪いだの遠慮なく文句を言い、安月給で俺をコキ使う。
ペンションで汗水垂らし常にタオルを頭に巻いて、ヤクザ時代の俺様の自慢のオールバックは見る影もない。
「ゴルァ! 千尋。何お客さまにガンつけてんだ」
容赦なく屈強な腕を俺の頭に振り下ろすのは吉次。声も長年歌い潰したロックンローラーの様だ。
「痛えなぁ! きちじぃ! 」
「うるせぇ! 黙れチンピラ! 」
「チンピラはお前だろ。きちじぃ! 立派なもん背負いやがっ……」
また頭を叩かれる。今度は奥さんの真実ちゃんだ。夫婦揃って口も手癖も悪い。
「うるさい! バカタレが。お客さんが怖がって帰っちゃうでしょ! 」
「痛えなぁー」
吉次も嫁には頭が上がらない。
ヤクザから足を洗い喧騒を離れ、2人が経営するペンションに来てから1年が経つ。
「きちじぃも、お父さんもそんな事してたら、お客さんいなくなっちゃうからね」
ふくれっ面をしたあかりが皿洗いを中断して泡まみれの手を宙に浮かしながら、キッチンから顔を出す。
「はいはい。風呂掃除してきまーす」
気が付けば丸腰で敵陣に紛れ込んでしまっていた様で、タバコを口に咥え俺は逃げる様に歩き出す。
「もう! お父さん、禁煙! 」
忍びの様にあかりが俺のタバコを取り上げる。顔はまだ膨れたままだ。
「あーっ! ばっか! お前、タバコ濡れたら吸えないだろ」
慌ててタバコをあかりから奪い取り、Tシャツの裾をめくってタバコの水気を取るようにトントンと叩く。安月給の俺にはタバコの一本だって貴重なのに、タバコを吸わない奴にはこの大切さが分からない。食べ物を粗末にするなと農家に謝辞を述べるのならば、タバコ農家にも感謝をして欲しいものだ。
「お父さん。サボっちゃダメだからねぇ」
あかりは口を尖らせて、手に付いた泡を忘れ腰に手を当てている。一年も経つとすっかりお目付役に昇進したようだ。
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