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晩御飯用にコンビニで買ってきたおにぎりとカット野菜の袋をローテーブルの上に広げると、私は左手でテレビのリモコンのボタンを押した。野菜ジュースのパックにストローを突き刺しながら、スマホで小説投稿サイトの本棚を開く。
最近のお気に入りは、ちょっと天然な主人公と、謎の美少年との青春ラブストーリー「青春ラ・ブス通り」だ。
カット野菜の袋に直接ドレッシングを流し込んでから、シャカシャカと袋を振る。
「次は特集です。明日から施行される『嘘つきは泥棒の始まり法』についてです」
「何じゃそりゃ」
イケメンアナウンサーの言葉に、私はつまらないニュース番組のチャンネルを変えようとした手を止めて、つい昭和のツッコミを入れてしまった。
「コメンテーターは『嘘つき』研究の第一人者、法螺 吹夫さんです。よろしくお願いします」
アナウンサーが紹介すると、テレビ画面の中で黒縁メガネにバーコード頭のオジサンが頭を下げた。
「いよいよ明日からですね。まずは『嘘つきは泥棒の始まり法』略して『ウソジリ法』の概要について説明致します」
アナウンサーはそう言うと下からパネルを取り出した。パネルには窃盗罪 10年以下の懲役又は50万円以下の罰金と書かれてある。
「簡単に言うと明日から、嘘をついた場合は窃盗罪と同等の刑が科されるという事ですね」
アナウンサーはにこやかな笑顔をたたえてはいるけれど、心なしか口元が引きつっている様に見える。
そういう私もリモコンを握りしめる手のひらがジットリと汗ばんでいる。
そんな法律いつの間にできたんだろう。ニュースなんてあんまり見ないから全然知らなかった……。
職場でも、昨夜放送されたホストクラブが舞台のドラマに出てくるイケメン俳優達の話で盛り上がったりはしたけれど「嘘つきは泥棒の始まり法」なんてものは話題にも上らなかった……。
「法螺さん、嘘は口にした場合のみで、文章の場合は適用され無い。『ウソジリ法』の施行以前についた嘘については遡って適用される事は無い、という事でよろしいでしょうか?」
アナウンサーは額から滴り落ちる汗を拭きながらそう言った。
「おっしゃる通りです」
法螺さんは表情を変えずに頷いている。
「それでは施行以前についた嘘について明日以降に『嘘なんてついて無い』と言った場合は『ウソジリ法』の適用になるのでしょうか?」
アナウンサーの声は震えている。
「おっしゃる通りです」
法螺さんがそう言うのとほぼ同時に、アパートの隣りの部屋でガチャンと何かが叩きつけられる音がした。
隣の部屋には二十代半ば位のカップルが住んでいて、二人はいつも仕事に行く時も、アパートに帰って来る時も、仲良く手を繋いでいる。ゴミ捨てに出る時さえも手を繋いでいるのを見た時は、陰から石をぶつけてやりたくなったけれど、また反対に喧嘩も豪快なのだ。激しく罵り合いながら家中の物を投げつけ合う。初めてそれを聞いた時は警察に電話しそうになった。
「……私が世界で一番可愛いって言ってたじゃない!」
「君だって俺より格好良い男は見た事無いって言ってたじゃないか!」
そんな恥ずかしくなる様な事を囁き合ってたのか……。
当然二人はそんな美男美女カップルじゃ無い。まあ、中の中といったところか。
「そんなのリップサービスに決まってるじゃない! 『ウソジリ法』は過去には遡らないから大丈夫なんだから!」
再び物を投げつけ合う音が聞こえてくる。
人間は嘘をつく生き物である。人が嘘をつかずに生きていくなんて無理な話だ。
人が真実をぶつけ合うとこうなるって事なんだろうか。ウソジリ法の施行は夜中の0時を過ぎてからだけど、急に切り替えるなんて難しい。彼女達は真実に生きる事にしたらしい。
やけに隣の声がはっきりと聞こえてくるなと思ったら、いつの間にかテレビの音がしなくなっていた。テレビ画面には引きつった笑顔を必死に保とうとしているアナウンサーの姿がただひたすらに映っているだけだった。画面の下の部分には白い文字で字幕が表示されている。
こちらもウソジリ法の施行に備えての事なんだろう。もしも万が一テレビで誤った事を言ってしまったら逮捕されてしまうのだ。けれど口頭ではなく字幕ならば問題無い。
文章でなら嘘をついても大丈夫という事だから、SNS上でなら今まで通り言いたい事を言っても良いという事なんだろう。それならさして問題がある様には思えなかった。大して口など聞きたくも無い職場の上司なんかとはSNSで済ませてしまえば良いのだから、返って楽かもしれない。
けれど、SNS上でのデマなんかが問題になっているというのに、時代に逆行する法律なんじゃないだろうか……。
ウソジリ法を適用するには、嘘をつかれた人が訴えるか、現行犯で逮捕するしか無いらしい。
「嘘をついた」と証明してみせるのも、なかなか大変な事の様に思えるけれど、疑わしい行動は控えるに越した事はない。どこで「嘘つき」と訴えられるかわからないからだ。
時折映る法螺さんの顔は静止画像の様に常に無表情で、表示される字幕は全て「おっしゃる通りです」だった。
「どこまでが嘘と判断できるのか、又どこまでが嘘被害として認定されるのか、慎重に見ていく必要があると思います」
疲れ切った顔のアナウンサーは、字幕でそう締めくくった。
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