坂の上の白い家

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坂の上の白い家

 高杉くんとは卒業後に一度も会ったことがなければ、彼の噂を聞いたこともない。高校の卒業式から十年が経ったが、彼がどんな大人になっているのか、私には全く見当がつかなかった。未知の相手をベビーシッターしなければならず、しかも謝礼金を先にいただいてしまった。今更ではあるが、とんでもないことを引き受けてしまったかもしれないと怖気づいた。  ベビーシッター初日、私はマカロンを焼いて持っていくことにした。二時間も会話で間を持たせる自信がまるでなかった。何せ、私には社交性も協調性も全くと言っていいほどないのだから。間が持たなかったらマカロンでも食べればいい。口は食べている間はしゃべれないのだから。それに、スイーツがあれば誰とだって仲良くなれるはず。ふと顔をちぎるアンパンマンが目に浮かんで、その偉大さを改めて思い知ることができた気がした。  高杉家は、うちからバスで数駅のところにあった。こんな近くに住んでいたら、どこかですれ違ってもおかしくないのだが、彼とは偶然どこかで会ったことはない。バスに揺られながら、どんな態度で彼に会おうかを考えていると、あっという間に目的地についてしまった。バスを降りれば階段がしばらく続く急な坂があり、坂を上がればすぐに家が見つかる、と高杉くんのお母さんが言っていた。延々と続く階段を見上げただけで目まいがした。酷だがダイエットになると思えば頑張れなくもない。雨の中、はあはあと息を吐きながら、私はひたすら坂を上った。何かの罰ゲームを受けさせられている気がして、なんとなくみじめな気持ちになった。坂を上りきると、一軒家が隙間なく並ぶ住宅街がそこに広がっていて、少し奥まった見渡しのいい場所に、高杉家は建っていた。改装したばかりだろうか、白い外壁には目立ったひびや汚れはなく、入り口には大輪の紫陽花の花が顔をのぞかせていた。  紫陽花の花に歓迎されている気がして、自然と頬が緩んだ。深呼吸をしてから玄関のインターホンを鳴らしたが、何も反応がなかった。さらに数回鳴らすもやはり反応がない。もしかして留守なのか。少なくともお母さんはいるはずで、引きこもりがタイミングよく外出しているとも思えない。雨が傘に当たる音だけが耳に残り、足音ひとつ聞こえなかった。溜まっていたみじめな気持ちが怒りへと変化し、私はさらにしつこくピンポンを鳴らし続けた。するとやっとインターホン越しに声が聞こえた。 「少々お待ちください」  眠そうな男性の声がした。高杉くんだろうか。どんな相手であろうと、アルバイトである以上、きちんとしなくては。私は息を何回も深く吸ってはゆっくりと吐いた。  しばらくすると、玄関がぱっと開いて、ジーンズに白いワイシャツ姿の男性が目の前に現れた。背が高い。同年齢にしては少し老けて見える。卒業アルバムの写真とはあまり似ていない。シャツは第二ボタンまで全開で、寝ぐせがひどく、ひげが目立った。しかし、丸い鉄縁眼鏡がとても似合っていた。 「高杉真一さんですか。わたしは」  自己紹介が終わらないうちに、高杉くんはさっさと家の中へ戻って行った。仕方なく私も黙ってそのまま一緒に中へついて行く。 「母さん今買い物に行ってるから、すぐ帰ってくると思う」  そう言い残すと、彼はどこかへ消えてしまった。目を合わせるところか、顔もちゃんと見られていない気がした。私は自分が彼に歓迎されていないことを自覚した。
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