奇妙なベビーシッター

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 二年前、私が急に会社を辞め、パリへの片道チケットを手にした時、母は何も言わなかった。  なぜもっと早く留学しなかったのかというと、その必要性を感じなかったからだ。しかし、二十七にもなれば、周りでは結婚ラッシュやベビーラッシュが始まる。日本でこの無言のプレッシャーに抗うのは、精神的にとてもつらいことだった。その点で言えば、このフランス留学が海外逃亡のカモフラージュだと指摘されても、私には反論のしようがない。 父も母もあからさまな反対はしなかった。とは言っても、後押しをするようなことも何も言わなかった。マイペースでわがままな一人娘を三十年近くも育てていると、何を言っても意味がないことをわかっていたからかもしれない。  夕飯は野菜サラダとアサリのスパゲッティで、驚くことに父の手作りだった。亭主関白でソファにべったりだったあの父が、キッチンに立って料理をしている。私のいない間、日本はどうなってしまったんだ。 「お父さん、ボケ予防で夕食を担当することになったのよ」  意外と手際よくスパゲッティを茹でる父の後ろ姿を見ながら、母が嬉しそうに言った。子供が初めてお手伝いをしてくれた時の母親の気持ちがなんとなく理解できたような気がした。   食卓には買ってきたお刺身のほか、父手作りの野菜サラダ、アサリのスパゲッティ、そして味噌汁が並んだ。私は思わず携帯を取り出して、写真をバシバシ撮った。久々に両親と囲む家族の食卓に感動さえ覚えた。  「お父さん凄いね。結構美味しい」 「確かに。スパゲッティの茹で具合もちょうどいい。さすがお父さん」  褒めると子が育つと言うし、母と私は一生懸命、父を持ち上げようとした。 「お父さん、毎日テレビで料理番組をチェックして、夕食のメニューを考えてるのよ」  まるでわが子を褒めるように、母は誇らし気に言った。父は何も言わずに、ただ黙々と味噌汁をすすっていた。  味噌汁とスパゲッティの組み合わせ。日本好きなフランス料理の先生がもしこの場にいたら、きっと目を丸くして驚くだろう。フフッ、想像しただけでにやけてしまう。 「今度、フランス料理を何か作るよ」  留学の成果を示さなくてはと思い、私は両親にそう提案した。両親にフランス料理をふるったことは、振り返ってみればまだ一度もなかった。 「それは楽しみだね」  父はずっと黙っていたが、母は目を細めた。  夕食の片付けも父の担当になっていた。私が手伝おうとすると母が慌てて止めに入った。 「お父さんにやらせて。これもボケ予防になるから」
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